一般編  Vol.350
吉田 リ子さん
東京生まれ。サンフランシスコのインテリアと色彩学の専門学校を経て、美術大学で環境・インテリアデザインを専攻し美術学士の学位を取得。1991年からビジネスパートナーおよびグラフィックデザイナーの夫とIntegrafika Design Studio(インテグラフィカ・デザイン・スタジオ)を設立し現在に至る。クライアントの要望に細心に留意し、常に過ごしやすい空間を創る事をモットーとする。
成功の第一歩は、しっかりした自信を持つ
インテリアデザインを志学しサンフランシスコへ留学後、CCACを経て現在はパートナーの夫と一緒にデザイン会社を起業し、ベイエリアでも多くの案件を手掛け活躍する吉田さん。「仕事は生きがい」と語る彼女に、ここでの暮らしについて伺いました。
吉田 リ子さん

(Haruko Yoshida, CID, ASID, NCIDQ )BaySpo 1689号(2021/04/09)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 インテリアデザインを勉強したい一心で、都立高校を卒業後に英語を専門学校で学んでから渡米しました。当時サンフランシスコにあったRudolph Schaeffer School of Design(ルドルフ シェーファー・スクール・オブ・デザイン)で色彩学及びインテリアデザインを専攻し、卒業後、California College of Arts and Crafts(カリフォルニア美術工芸大学)に入学。環境・インテリアデザインを専攻し、美術学士の学位を取得しました。 

ベイエリアの印象
 なんと言ってもサンフランシスコの青空は、世界一素晴らしいです。渡米した当時は、賑やかな東京生まれの私には、静かすぎた街でした。今では静かさにも慣れ親しみ、多様な人種が一体となって住んでいる、自由で開放的だけれど独特の雰囲気のある街だと思います。IT系事業のバブルの影響か、地価が高騰しており、昔から存在していた個性的で小規模なお店などが消えて行く事に寂しさを感じています。

自分の専門分野について
 美術大学を卒業後、Charles Lester Associates(チャールズ・レスター・アソシエイツ)インテリアデザイン会社に10年間勤務し、ジュニアーデザイナーから始まり、チーフインテリアデザイナーとしてプロジェクトの開始から完了に至るまでの全工程の職務を担当。その後、グラフィックデザイナーの夫、石井素直とIntegrafika Design Studio(インテグラフィカ・デザイン・スタジオ)を起業して、現在に至ります。米国内及び日本でも、住宅、商業空間のインテリアデザインを担当しております。最近の仕事では、キッチンや風呂場の改装、新築の家の内装建材の選択及び家具などの選択。新築レストランの内装、動物病院の改装。Market Street と Sansome StreetにあるFour Seasons Hotelの改装のプロジェクトマネジャーとして、工事現場施工監督、家具搬入監督の仕事を終えました。

その道に進むことになったきっかけ
 幼い頃に押し入れの中で、様々な大きさの箱をいじくり回して人形の家作りをするのが好きでした。また、父がシビルエンジニアーで、アジアにあるダムを設計していましたので、その側で図面や仕様書などを見せられ、その影響もあるのか、インテリアデザインの道に進む事になりました。

英語で仕事をするということ
 人生で最初に勤めたのが、アメリカ人経営の会社Charles Lester Associates(チャールズ・レスター・アソシエイツ)で、初めて一つのプロジェクトの担当を任された時、そのクライアントへのプリゼンテーションの前日は、眠れなかった事を思い出します。その点、学校教育で幼い頃から人前で話すことを訓練されているアメリカ人は、実にスピーチが上手だといつも感心します。私は、今でもスピーチは苦手です。クライアントの好みや環境を理解し、その方の好みに最適なデザインを提案する事に常に気を使っています。それはまたデザイナーとして私の使命だと思っています。

英語で失敗したエピソード
 具体的な失敗したエピソードは思い出せませんが、R とL、 BとVの発音に今でも気を遣います。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 今の仕事でしょう。経済的な余裕と時間があったならば、建築士の免許の取得を試みていたと思います。

あなたにとって仕事とは?
 生きがいです。自分のことは二の次。様々な方との出会いは素晴らしいことです。一つのインテリアの仕事が完成し、クライアント及びプロジェクトチームが歓喜の声を上げる時が、私にとって最高の一瞬で、生きがいを感じます。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 中学の頃からピアノや声楽を習い、オペラ歌手を夢見ていました。私は日本人で、唄えるオペラは、お蝶夫人のみ。何て馬鹿な事を言ったかと自分の実力に限界を感じ、当時個人レッスンを受けていた音楽大学の教授だった先生に相談した結果、音大への進学を諦めました。

いまの仕事に就いていなかったら
 食べる事と料理をする事が大好きなので、料理愛好家になっていたかもしれません。現在コロナ禍の最中でも、いかにポジティブに生活しようかと考え、色々なお料理に挑戦し、大事にしまっていた食器なども使い、夫と楽しい食卓を囲んでいます。

休日の過ごし方
 家の掃除。音楽鑑賞や、夫と社交ダンスの練習、愛犬の世話。気晴らしに、ドライブ。

好きな場所
 市内が一望に見渡せるTwin Peaks や、Palace of the Legion of Honorの美術館。

最もお気に入りのレストラン
 One Market Restaurant サンフランシスコのマーケット通りに面している店で2004年からあります。私達のThanksgivingの食事は、毎年定例で会食を楽しんでおります。このレストランは、コロナ禍でも色々なテイクアウトメニューがあります。

よく利用する日本食レストラン
 弊社がインテリアデザインを担当させて頂いたダブリンにあるAMAKARAファミリーレストラン。お刺身の盛り合わせやちらし寿司は最高です。

最近日本に戻って驚いたこと
 特に東京は、時の流れが早く、新しいビルディングがあっという間に完成していることです。

日本に持って行くお土産
 市内のサクラメント通りにあるオシャレな店、Sue Fisher Kingの小物やダウンタウンにあるSamuel Scheuer Linensのハンドタオルや小物など。

現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき
 日本にあるような清潔な公共トイレが無いこと。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 治安が悪い。

お勧めの観光地
 ワインカントリーです。中でも私達の友人で、カリストガに在住のベネチアの壁画家、Carlo Marchiori(カルロ・マルキオーリ)氏邸、Villa Ca’toga(ビラ・カトーガ)5エーカーの敷地にあります。家の内装は、カルロ氏の壁画で飾られ、まるでローマ時代の建物です。庭には、人工池、ローマ時代を思わせるプールや柱、建造物、野外劇場など。一般に公開していますが、現在は、コロナ禍で入場は規制されています。カルロ氏は、日本のディズニーシーの壁画や、有名なレストランやホテルの壁画を描いておられます。またカリストーガのダウンタウンには、Cartoga Galleria Darte を経営しておられます。

永住したい都市
 音楽の都、オーストリアのウィーン、過去に2回ほど訪れています。美味しいStrudel(シュトルーデル、果物やチーズなどをパン種でいく層にも巻いてある甘みの少ないお菓子)とカフェが最高。

5年後の自分に期待すること
 健康に留意し、現在の仕事を続けている事。インテリア関係の本を出版したい。

最も印象に残っている映画
 1986年のフランス映画、Jean de Florette/Manon of the Spring (愛と宿命の泉)二部作。私にとって忘れられない作品。

最近観た映画
 2015年のPersona Non Grata(杉原千畝)。第二次世界大戦下のリトアニアで、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ難民に、日本通過ビザを発給し、六千人もの命を救った外交官、杉原千畝の映画。監督は、私たちの友人。

座右の銘は?
 「成功の第一歩は、しっかりした自信を持つ」
 「最小の効果のために努力を惜しまない」
 「有り難いことが有り得ていることの有りがたさ」

(BaySpo 2021/04/09号 掲載)

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