|
| 一般編 Vol.118 |
小林まさみさん |
茨城県出身。UCバークレー校で心理学リサーチ、スタンフォード大学で社会心理学を勉強し、UCサンフランシスコ校の日本人医師研修プログラムでコーディネーター兼アシスタントディレクターを務める傍ら、コミュニティワークボランティア、社会問題関連の講演や執筆活動を続ける。高齢者関連では国際長寿センターの季刊誌連載(2007−2009)、労働基準局機関紙連載(2008−2009)緩和ケアジャーナル(2010-2011)があり、「老いを生きるためのヒント:在米高齢者の生き方(共著)」(現代書館社)「シニアが活かすアメリカのNPO」(ジャパンタイムズ社)などノンフィクション作家。
|
|
|
弱者の立場からの情報で 社会が少しでもよくなれば |
|
通訳や報告書作成、NPO関連のコンサルタントを務める傍ら、「シニアを活かすアメリカのNPO」(ジャパンタイムズ社)、UCSFエイズ研修の日本語教科書など、社会問題関連の執筆活動をする小林さん。小林さんにこれまでの活動や暮らしぶりを聞いた。
|
|
|
通訳コンサルタント/ノンフィクション作家(Masami Kobayashi) | BaySpo 1142号(2010/10/08)掲載 |
|
アメリカ生活のきっかけは? 10代後半にサンフランシスコに来ましたが、20代はカナダで暮らしました。バンクーバーで昼は日系の食品会社や倉庫などで働き、夜はバーテン、合間に通訳や職場の人たち向けの英語クラスで教えたり、シニア向けの市民権受験講座で教えたり、30種類くらいもの仕事をしたんじゃないかしら。20代後半に帰国し東京で働いていましたが、今度は大学へ行こうと1983年に再びベイエリアへ来ました。
渡米当初、英語は? 子どもの頃から英語が身近な家庭環境で育ったので、当初から英語に困りませんでした。私の父は公務員でしたが地元の茨城にあった外務省の農業国際研修センターへ出向、アジアや中近東など世界各国からの技術者へ数学や測量法の研修講義をしていました。ところが、父は戦中の人ですから英語は話せず、私は学校でThis is a penのレベルの英語を習ったというだけで、外務省パーティの同行で通訳や教材の翻訳をさせられていました。泣きながら苦労したのですが、英会話力は身についていました。大きくなったら通訳にだけはなるまいと決めていましたのに(笑)。
ベイエリアの印象は? 気候が穏やかでなにごともほどほどに見えますがリッチな多様性が抱擁されており、貧富の差が大きく、人種も障害も人資源も多様。カラフルな背景には、それなりに洗練された繊細な文化が育ち、社会をよくしたいという夢を捨てずユニークで気概のある人間たちが刺激しあって暮らしている場所というイメージです。
再渡米してからは? 働きながら大学に行くつもりで渡米しましたが、拘束時間が不規則な仕事についたので働くと時間がない、働かないと生活できないとうことで、大学にはなかなか行けませんでした。結局、35歳で大学、専攻はビジネスから心理に転向、40歳から大学院。在学中から比較文化心理学研究所マネージャー、福祉系ボランティアなどの傍ら、生活のための通訳やビジネスコンサルもしていたのですが、それがいつのまにか自営業になりました。
現在の専門分野は? 「前世紀生き残りの自営業ジェネラリスト」と言ったらいいでしょうか(笑)。会議通訳や同時通訳、専門通訳、リサーチ報告書作成、ノンフィクション作家、医療者や科学者の視察研修コーディネーター、比較文化コンサルやNPO経営管理コンサルタントなどで、分野はIT、テクノロジー(特にエネルギー)、法律、医療(特にエイズ、がん)、社会福祉(NPO、シニア)です。 医療分野は80年代、サンフランシスコにエイズが蔓延し始め、ボランティアで患者さんたちと知り合ったのがスタートでした。それ以降、日本からの患者、活動家、研究者の通訳や視察のコーディネーションをしながら、自然にエイズ関係の団体やホスピスのトップや理事会と関わるようになりました。当時エイズは空前100%の致死率でしたから、アメリカ社会が全力をあげて立ち向かっていました。毎月のように治療法や病気の作用機序理解などに革新的な情報が出てきて、医療者も患者さんも私も夢中で勉強していました。学生の私はプリメド(医大予科)でリサーチアシスタントをしたりしており、いつのまにか専門家と称されていました。こんな風に私の場合、すべてがOJT(On the Job Training)で安上がり。現場で学んだことが仕事の土台です。
様々な分野にわたる仕事をされていますが、共通するテーマといえば? 身体障害、精神障害、エイズで患者さん、終末期緩和ケア、高齢者たち、経済的弱者の問題に関わってきました。共通するのは、「弱者の立場からの情報を知ってもらことで、社会や毎日の暮らしが少しでも住みよくなれば」という思いだと思います。
「弱者」において日米の違いはどう感じますか? アメリカは資本主義が強くて、安全ネットは少なく、沢山の人が落ちこぼれます。でも、落ちた人の受け皿は案外にきちんとあるんですね。それは流動性のある労働形態であり、教会や福祉サービス、リハビリ目的の学校教育であり、加えて一般の人の日常の行動に表れるちょっとしたジェスチャー、気持ちや表情…。そういう力を借りられるからやり直しが効く。日本は社会主義的でセーフティネットもありますが、いざはずれると、基本的にはやり直しが難しい社会です。最近は少し状況が変わり、昔に比べて格差問題や下流問題、大量の精神保健問題や失業問題、受け皿も増えていますが、より大容量のシステム作りが必要でしょう。
あなたにとって仕事とは? 私という人間に私のもつ技術や知識を使い成し遂げてもらいたい、と考え他人が対価を支払ってくれることで、自分のためではありません。お金を払う人のために行う大事でかけがえがない作業ですから、その本来の目的から反れず、その人が成果を得ることを助けることが私の仕事です。自分を殺すことができるのも私の特性ですが、自分をどう生かすかとのバランスも考えないと良いリサーチやコンサルはできないのも確かです。
いまの仕事に就いていなかったら 受付やコーディネーターなど人と関わる仕事や、また反対に、一人でこつこつ研究というのも向いているのかと思います。今のような自営業よりは、ビジョンを持ち信頼できるリーダーの下で思い切り働いてみたいと思ったりもします。要は二極分裂症なんです(笑)。誰でも「自分はこういう人」という自己イメージを持っていますが、そう見せたくてもそれには入りきらない部分もあるでしょう。そこを切り捨てちゃうと分かりやすくはなるけれど、もったいない。掘り下げてみれば案外色々出てくるのではないかしら。
休日の過ごし方 楽しみの本を読む、趣味の本を書くためのリサーチ、友達と雑談、映画やパフォーマンスアートが主です。年間半分近くは仕事で欧州、北米、日本へ出張ですから、せっかく地元にいられる間は旅などしたくないです。
自分を動物にたとえると?なぜ? 極楽とんぼ。母がおまえは極楽とんぼだね、と決めましたから。父は、あるとき新聞になまけものという動物の写真があったのを見て、おまえの写真が出ているよ、と喜んでいたことがありました(笑)。
現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき 一人息子が遠くに住んでいるので、めったに顔をみせてもらえないと思うとき、暗くなると一人歩きができないなあと考えたとき。それから、母に言わせれば放浪の寅さんのように、予定の立たない生活の上に旅行が多いので地元コミュニティにしっかり貢献できないこと。
現在のベイエリア生活で不安に感じること 日常生活では夫が公私共に唯一の緊密なパートナーですから、夫になにかあったら一人で生活していけるのだろうかという不安があります。
永住したい都市 良い仕事があって家族と良い友人がいる場所ならどこでも。
座右の銘は? 「一期一会」。
● ● ● ● ●
インタビューを終えて 一人で何人分もの人生を生きているような小林さん。「私は二極分裂症」と仰っていましたが、自分をステレオタイプしないことから生まれるパワーを教えてもらった気がしました。
(BaySpo 2010/10/08号 掲載) |
|
|