一般編  Vol.116
長野弥生さん
横浜出身。早稲田大学を心理学専攻で卒業した後、東京にある広告制作会社に勤務。1993年にサクラメントにあるルドルフシュタイナーカレッジに留学。その後サンフランシスコにあるカウンセリングセンターや老人ホームでアクティビティディレクターとして働く。ジョン・F・ケネディ大学Art and Consciousness programにてTransformative Aertsの修士号を取得。現在、ギルド認定フェルデンクライスプラクティショナーとして活動すると同時に、2009年より「のびる会」事務局長を務める。
「私の人々」を見つけたくて
サンフランシスコ日本町に拠点を持つ「のびる会」は日本語を通してのコミュニティー作りを目指す非営利団体。ここで事務局長を務めるのが長野弥生さん。日本人渡米者がアメリカ社会に適応し、ここから発信していけるように、と同会が行うサービスや活動について、また、長野さん自身のアメリカでの生活について話を聞いた。
長野弥生さん

のびる会事務局長(Yayoi Nagano)BaySpo 1137号(2010/09/03)掲載

渡米したきっかけ
 日本では大学を卒業した後、広告業界で仕事をしていたのですが、当時はちょうどバブル全盛期で仕事も面白く、寝る間もないくらい働いていました。1日22時間くらい勤務していたこともあったくらい。そうやって3年間働きたおして、トップセールスになったところで「もういい!」と辞めちゃったんです。毎日、頭だけ使っていてバランスを失っていたのかもしれません。自分のためだけに使う時間が欲しい、魂に栄養が欲しいと思いました。それで、芸術を取り入れて人間性を育てる教育法で知られるシュタイナー教育を学ぶため、サクラメントにあるルドルフシュタイナーカレッジに留学しました。それが1993年のことです。実は気候のいいカリフォルニアでのんびり学ぶつもりで来たら、そうはいかなかったのですが。

現在の専門分野は?
 正直なところ、何が自分の専門かわからないので、未だに探し続けています。もしかしたら探し続けるのが私の専門かも知れません。 シュタイナーを勉強した後は、UCサクラメント校と、サンフランシスコに移ってCalifornia Institute of Integral Studiesという学校で心理学の勉強を続けていたのですが、アメリカにきてからも突っ走り続けたせいで、無理していた圧力に潰れてしまいました。それで学校を辞めて、自分自身の心理療法をしながら、カウンセリングセンターと老人ホームで働きました。この過程で、ソマティックサイコロジーと呼ばれる、体や動きから入るセラピーに出会い、人の手助けをする前に自分を幸せにしなければ、ということを強く意識するようになりました。最終的には、JFK大学でTransformative Artsという専攻でマスターをとりました。今は「心を開く体操」といわれるフェルデンクライスメソッドのプラクティショナーとしても活動しています。その昔は、インプロビゼーションのダンスをしたり、ストーリーテリングをしていたこともあります。いつか全てを統合することができて、それを専門と呼べるといいなと考えてます。

ベイエリアの印象
 実際風がよく吹きますが、比喩的に言っても風通しがいい、つまり異なった思想や人種や社会階層など、あらゆるものが常に流れて交わっている、という感じがします。それに西海岸は、ただカフェにいるだけでも、自分の居場所ってありますよね。ニューヨークに行った時には、「自分は誰です」と言えないといけない、ちゃんとした肩書きがないと相手にしてもらえない、そんな印象を受けました。

のびる会への参加について
 のびる会に参加しようと思ったきっかけは、まずはそれまで、本当に自分のことしかしてこなかったので、少しは他の人のお役に立ちたいと思ったこと。それから、もうひとつは、友達のセラピストが主催していた脳梗塞の経験者をサポートする非営利団体で、お手伝いをしたことがきっかけでした。彼女自身も脳梗塞を経験したことからその団体を作ったのですが、そこに参加していると、彼女とグループの参加者との間にある特別なつながり、というものを強く感じるようになりました。彼らは、脳梗塞を経験した者同士という不思議な絆で結ばれているようでした。それを見ていたら、私も「私の人々」を見つけたくなったのです。それが誰かと考えたら、このアメリカで生活して、日々、文化の狭間で生きている日本人ではないかと。
 私が参加しだした時ののびる会は、大きな過渡期にありました。数人の熱心なボランティアの方々が、70年代から続いてきたのびる会の光を消さないようがんばっていらっしゃったのです。それから1年以上たち、今ものびる会は新しい成長の過程の途中で、現在は「日本語を通してコミュニティー作り」をテーマに活動しています。日本語を話す人達が集まってくる、そしてここを中心にネットワークが広がっていく、そんな場になれば、と思っています。これからも、ニーズに合わせて成長し、他の日本人グループのコミュニティー活動もサポートしていけるような団体を目指しています。私個人としては、のびる会は、そこに参加して下さる皆さんによって形作られていく器だと考えています。

のびる会に参加して学んだこと
 日本人としても知らなかった日本文化や日系人の歴史などを学ぶ機会が多くありました。それから、今は事務局長を務めさせていただいていますが、代表として人前に立つというのはアメリカ人はわりと子どもの頃から訓練されていると聞きますが、私にとっては新しいチャレンジであります。「リーダーとは何か」なんていう本を読んだりして…(笑)。

留学経験
 つい最近までここで学生をしていた身なので、留学歴は長いのですが、初めてアメリカに来たのは大学1年の時。ワシントンDCの語学学校に通いました。ほかにベイエリア以外では、イギリスで8ヶ月ほどシュタイナーの思想に基づいたカウンセリングの方法を学びました。

英語で仕事をするということ
 その昔、学生を始めた頃は、頭の中にある自分の言いたいことと、実際に口に出して言える英語とのギャップによく泣きましたね。言いたい想いが強いほど、英語が出てこなくなって。その過程で文法も私の頭の中で崩壊して。目の前にある大理石の中から彫刻を掘り出したいのに、手元に持っている道具は斧、という感じですか。本人はカミーユクローデールのつもりが、木こりですから。その悲しみと言ったら(笑)。

英語で失敗したエピソード
 こちらでは「スカーフ」と呼ばれるものを日本語では「マフラー」って言いますよね。以前、友達に「その首に巻いてるマフラー可愛いね」と言ったら、「それは車に付いてるもの」と言われました。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 「ラッパー」というのは職業でしょうか?ヒップホップのリズムで英語でポジティブなメッセージを歌う、というはいいですね。

あなたにとっての仕事とは?
 ポジティブな社会参加の方法です。

最近読んだ本
 河合隼雄さんの「日本人という病」。河合さんは、ヨーロッパにもアメリカにも住んで学んだ経験から、東洋と西洋について考え続けられた学者でありプラクティショナーでもあったということで、勝手に私の師の一人だと思っています。生前に一度でもお会いしたかったです。

1億円当たったとして、その使い道
 色々な違う考え方を持った人々、アーティストとか学者とか、何やってるのかわからない人達とかが集まってきて、好き勝手な話ができるような、ボヘミアン・アートカフェみたいな場所を作りたいです。

座右の銘は?
 ここ数年気に入っているのは、DavidWhyteという人の「WHAT TO REMEMBER WHEN WAKING」という詩からの言葉で、一部だけ引用するのは申し訳無いのですが、こんな感じです。
To be human is to become visible while carrying what is hidden as a gift to others.

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インタビューを終えて
 のびる会の事務所にお邪魔しました。部屋の壁一面に並ぶのは大量の古本。一度は読みたい文学作品から、「そういえば昔流行ったよね」というような、なつかしいタイプの本まであり、宝探しのような気分に。「日本語を話す人達が気軽に集まれる場所になってほしい」という長野さんのお言葉に甘えて、今後も度々、立ち寄らせてもらいたいと思った温かい空間でした。

(BaySpo 2010/09/03号 掲載)

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