ビジネス編  Vol.64
安永正法さん
千葉県生まれ。大学卒業後、電機メーカーに勤務。1986年にカルビーに入社。1997年に渡米、カルビーアメリカにてアメリカ市場開拓を始める。2007年にフェアフィールドに新工場を立ち上げ。趣味はワイン、料理、ゴルフ。
「美味しい」笑顔が世界の平和につながる
「かっぱえびせん」や「さやえんどう」のアメリカ版「スナッピー・クリスプ」など、アメリカでもあちこちのスーパーで見かけるようになった日本ブランドの人気スナック。フェアフィールドに工場を持つ「カルビーアメリカ」社長の安永正法さんに、日本と変わらない味を現地生産するまでの道のりや、現在のベイエリアでの暮らしを聞いた。
安永正法さん

カルビーアメリカ社長(Yasunaga Masanori)BaySpo 1130号(2010/07/16)掲載

カルビーがアメリカに進出したのは?

 もともと戦後、アメリカから初めて日本に入ってきたポテトチップスを、1976年にカルビーが日本で初めて通年製品としての製造販売を始めました。実はその前、1970年に既にカルビーはオレンジカウンティにアメリカ事務所を設立していたのです。当初は、製造販売を目的に立ち上げましたが、すぐに将来ポテトチップスをはじめとしたスナック事業を日本で行うための、情報を収集するアンテナオフィスとして活躍し始めました。ここを拠点に原料の保存技術から製造、マーケティングを学び、現地のスナックメーカーや大学等の研究機関、設備メーカー、農家との関係を築いていったのです。
 私がカルビーに入社したのは1986年、ちょうど情報収集の時期が終わり、カルビーアメリカを拠点に、アメリカでの販売の可能性を探ろう、としていた頃でした。そのため、入社の翌年からアメリカ出張の機会が頻繁にありました。


初めてアメリカに出したスナックは?
 アメリカにポテトチップスを売りに行くわけにもいかないので、まずは「かっぱえびせん」を持って行ったのですが、これが「えびが入っていなければ美味しいのに」などと言われてしまったりもしました(笑)。とはいえ、アジア系の方々には好まれることがわかり、アジア系の食品ディストリビューターに流通させてもらいながら、マーケットを開拓していきました。需要が順調に伸びてきた頃、プラザ合意で円高が進んだのをきっかけに、少しでもコストを抑えようと、ロサンゼルスのスナックキング社と提携して現地加工を行うようになったのです。


「スナッピー・クリスプ」はどうやって誕生した?
 アメリカに来る前まで、私は本社の海外本部で、アメリカ市場や香港、シンガポールなどアジア市場の開拓も担当していたのですが、1997年にフランスで開催されたスナック業界が集まるエキスポで、いくつか商品を紹介しながら、アジアのスナック事情についてプレゼンをしたことがありました。その時、一番反響が大きかったのが「さやえんどう」でした。「こんなに喜ばれる商品があったのか!」と意表を突かれたのを覚えています。そこで、「よし、じゃあこれをアメリカで売るぞ!」ということで、翌年さっそく渡米しました。はじめは、日本から届いたさやえんどうを現地用の袋に詰め替えて10ケースほど、ロサンゼルスの米系スーパーに置いていただきました。すぐには売れないだろうと思っていたのですが、数日で売り切れたとのこと。「倉庫で誰かが食べちゃった?!」なんて最初は疑ったくらいです(笑)。ところが、デモ販売でも飛ぶように売れていくところを目の当たりにしたのです。そこで、いよいよソノマのセバストポルにさやえんどうを現地生産するための工場を借りました。ところが、ラインも完成し、さぁテスト生産をスタートしようという矢先に9・11事件が勃発。日本から製造技術の指導にくるはずだった社員がこれなくなってしまったのです。「ここまできて、やらないなんてそれはないだろう」ということで、現地スタッフ数名と一緒にテスト生産を開始しました。工場勤務の経験もないし、機械の使い方もわからない。でも毎日テスト生産を重ね、失敗を繰り返しながら、ようやく作り上げたのが「スナッピー・クリスプ」です。とはいえ、限られたスタッフで生産を安定させることは難しく、赤字になった時期もありました。でも、そんな時期に、お取引先の支援は大きく、頼りになりました。また、銀行や地元の方々からの惜しみないサポートとお力添えをいただき、何とかラインを存続させることができ、その結果、2003年からようやく黒字に転じることができました。その後、生産が追いつかないまでになり、2007年にフェアフィールドに自社工場を設立するに至ったわけです。今、こうして「スナッピークリスプ」を皆様に喜んでいただけているのは、苦しかった時期にご支援くださった沢山の方々のおかげだと、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。


北カリフォルニアを工場の地に選んだのは?
 まず気候です。特にナパ、ソノマは一年を通して温度と湿度が安定しているので、製造工程も変動させなくて良いのです。また、野菜など農作物の産地であることと、ワイナリーやレストランも多いので、地元のクリエイティブパワーを借りよう、という思いもありました。日本から持ち出せるものというのは、“魂”くらいのもの。現地で材料を加工し、現地の皆様に提供させていただくわけですから、そのためにはまず、地域の方々に受け入れられ、愛される、ということが大切です。日本でも、古くから「遠くの親より、近くの他人」と言いますよね。
 今から100年以上も前、明治初期に薩摩藩出身の長沢鼎(ながさわかなえ)さんという人がいまして、イギリス留学後にサンタローザに移住し、ワイナリーで大成功して「ワインキング」とまで呼ばれた人物なのですが、サンタローザ市が彼の功績を称えてそのワイナリーの建物の一部を復元し、ランドマークにしています。弊社の工場の正面には、それをモチーフにしたガゼボを設置したのですが、これは「我々も彼にあやかって、地元に貢献できる企業になろう」という志を示したものです。


安永さんにとって仕事とは?
 私が20代の頃は、ポテトチップスをはじめ、何でも売れていた時代だったので、営業といっても断ってばかりの仕事で、仕事の目的を見失っていた時期がありました。その時、創業オーナーの松尾孝が「商売は人助けだよ」と言ったのです。その一言で自分の進むべき道が見えたような気がしました。「美味しかった!」と笑う子どもの笑顔は、まったく偽りのない本物。カルビーでは「Farm to Table」をキーワードに、「自然の恵みを皆様のテーブルにお届けする」、という仕事をしているわけですが、少し大げさに言えば、「この笑顔を世界中に増やすことができたら、争いは起こらなくなる、世界の平和につながる」と信じています。


アメリカ/ベイエリアの住み心地は?
 日本は残念ながら、いよいよ人口減になってきて、この10年縮小傾向の話ばかり。それに比べ、アメリカは先進国でありながら成長国。だから仕事をするならアメリカが圧倒的に面白いと思います。中でもベイエリアは、学問では最高峰の大学があり、山も海もあって、スポーツも何でも楽しめます。また、世界の大都市の中で、ベイエリアのようにエアコンが必要ない場所というのは地球上にいくつもなく、住み心地は最高です。


ベイエリアの生活で不便や不安を感じることは?
 公共の交通機関が少ないことですね。通勤や、飲んだ時に電車があればいいな、と思います。

1億円当たったとしたら使い道は?
 1億円でできるかどうかわかりませんが、通常の学校に行きたくないような子供達を集めて、自分らしく生きるということを学ぶことができる学校を作りたいと思います。


5年後の自分に期待すること
 アメリカの方々全員に配るほどの規模まで、ビジネスを成長させたいですね。

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インタビューを終えて
 9・11事件が起こり、日本からの出張者が来られなくなった時、安永さん自ら、つなぎ姿で試作を繰り返しながら完成させたという「スナッピー・クリスプ」。大きな情熱が込められた味だということが改めて知り、無性に食べたくなってしまいました。

(BaySpo 2010/07/16号 掲載)

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