ビジネス編  Vol.64
堀淵清治さん
徳島県出身。早稲田大学法学部卒業後、渡米。カリフォルニア州バークレーに居を構え、英語学校で勉強後、カリフォルニア州立大学ヘイワード校で文化人類学修士過程を専攻。1年半でドロップアウト。放浪の時期を経て、マーケティング会社を設立。1986年に現在のビズコミュニケーションズを創立、上級副社長に就任。1997年に社長兼CEOに就任。2004年合併を経たビズメディアで共同会長に就任。2005年、日本の映画配給を手がけるビズピクチャーズを設立、社長兼CEOに就任。2009年8月にサンフランシスコ日本町に、全米初となる日本のポップカルチャー発信拠点「NEW PEOPLE」をオープンさせる。
日本は文化をハイブリッドさせるのが得意
日本のポップ・カルチャー発信拠点「NEW PEOPLE」を昨年8月にサンフランシスコ日本町にオープンさせたビズピクチャーズ。社長/CEOの堀淵清治さんは、「Pokemon」や「Gundam」、「Shonen Jump」など、サンフランシスコを拠点に世界各国へ日本のマンガやアニメを送り出してきたパイオニア的人物だ。堀淵社長にこれまでの道のりやポップカルチャーを通して伝えたい日本の存在感についてなど話を聞いた。
堀淵清治さん

ビズピクチャーズ 社長/CEO(Seiji Horibuchi)BaySpo 1116号(2010/04/09)掲載

ベイエリアにきたきっかけ
 60年代の終わり、ちょうど学生運動がピークだった頃に僕は大学生だったのですが、授業がほとんどないのをいいことに、早稲田のフォークソングクラブで音楽ばかりやる毎日でした。特にロックの原型である西海岸の音楽が好きで、一度は自分の目で見てみたいと思っていたんです。就職活動もせずに、まずは一ヶ月の旅行にやってきたのがきっかけでした。

就職に焦りはなかった?
 どこか会社に入って仕事をするというのがとにかく恐ろしくて、絶対にやりたくないという気持ちがあったんです。法学部を選んだのも、弁護士なら一人で働けるというイメージがあったからでした。だから周りが就職活動一色になってくると、なんとかそこから逃げ出したくて国外逃亡をはかったんですね(笑)。

当時のベイエリアの印象は?
 当時の西海岸文化は、実際に来てみると、予想外のもので、それはもう衝撃的でした。自由奔放なヒッピーや、禅や瞑想の東洋文化に傾倒したスピリチュアリストが町中に溢れていて、何だこれは、と思いましたよ。それと同時に、好きなだけ自由にいられる風土がとても魅力的で、特にサイケデリックブームの中心地だったバークレーに住んでみようと思い、大学院に行くという名目で日本からまたすぐに戻って来たんです。そこからニューエイジ文化、精神世界にどっぷり浸かり、山の中にヤート(モンゴル式住居)を建てて、ヒッピー暮らしをしていたこともありました。山の生活は本当にサイケデリックだったから、山から降りて町の生活に慣れるまで、1年くらいは使い物にならなかったです(笑)。

マンガの事業を始めたのは?
 ヒッピー生活の後は、サンフランシスコでマーケティングや輸出の仕事をしていました。その頃はまだアメリカのポップカルチャーが日本にとってはすごく魅力的な時代で、Tシャツからジーンズ、ジュークボックスまで色々なものを日本向けに紹介していました。そんなことをして暮らしていたある時、日本にいた弟経由で、小学館の社長である相賀(昌宏・当時常務)さんがサンフランシスコを訪問するから現地案内役をしてほしい、という依頼を受けたんです。それが運命の出会いだったんですね。そんなにえらい人だというのは後で人から聞いて知ったくらいで、その時は何も知らずにただ話の流れで、日本のマンガをアメリカで出版したら受けるんじゃないか、という単に直感的な意見を話したんです。僕は特にマンガおたくだったわけではないですが、当時、日本ではマンガが急成長していた頃で、大学生ならみんなマンガを読んでいました。日本のマンガの方法論というか、メディアとしての勢いはすごいと思っていましたから、そんな話ですっかり盛り上がってしまって、帰国する時にはアメリカでの可能性についてリサーチを頼まれていました。リサーチの結果、やっぱりこんなに面白い日本のマンガがアメリカで受けないわけがないと思うに至り、小学館の出資を受け、「10年でアメリカのマンガ市場を活性化する」という目標を定めて4人ではじめたのがVIZコミュニケーションズです。

実際に出版してみて
 最初、僕達はアメリカに流通チャンネルを持っていませんでしたから、サンフランシスコ近郊にあった出版社と共同出版という形をとることにしました。僕が考えていたことは、みんなも考えているわけで、彼らもその頃、日本のマンガが面白いということは知っていたんですね。世の中がそういう流れになっていたんです。ぐずぐずしている暇はないと感じました。
 初めて出版したのは、白土三平の「カムイ外伝」など3タイトルでしたが、当時、アメリカのマンガはカラーが主力だったので、日本のモノクロは新鮮に映ったんですね。ここにコレクターが飛びついたという事情もあって、初版は完売するほど好調な滑り出しでした。共同出版は最初の1年だけで、アメリカでの出版に関するノウハウを身につけてからは、独立して自分達だけで事業を進めるようになりました。ずっと順調だったわけではなく、コミック業界の不況などで会社が沈みかけたこともありますが、その間も時間をかけてファンが少しずつ根づいていったと感じます。

マンガの輸入に関して苦労した点は?
 流通事情の違いなど色々ありますが、まずぶちあたったのが書物の読み進め方。ご存知の通り、日本のマンガは右開きですがアメリカの本は左開きで左から読んでいく。その解決策がオリジナル原稿を反転印刷するということでした。ほかには、日本のマンガに欠かせない「フッ」や「ドカッ」というようなオノマトペ(擬態語)の問題がありました。アメコミではいちいちオノマトペを描き入れるということはせずに、状況はセリフで説明してしまうんです。僕達は、日本のマンガならではの、オノマトペによる躍動感というものをどうしても譲ることができなかったので、自分達でオノマトペ造語を作り、アーティストにそれをリタッチしていってもらう、ということをしました。

映画の配給を手がけるようになったのは?
 「ポケモン」などのヒットもあって、マンガ・アニメファンはずいぶん増え、自分のことを「OTAKU」と呼ぶ層も出てきたくらいです。それでもまだアメリカではマンガ・アニメは「子どものもの」という意識が強い。せっかくマンガやアニメを通して、一度は日本のポップカルチャーに関心を持ってくれたのにも関わらず、ある程度の年齢になると卒業していってしまうという状況がもったいないと感じていたんです。そこで、マンガを読んで育った人たちが、成人してから行き場を失わないよう、今度は映像など別のメディアを使って日本のエンターテイメントを提供していこうと思いました。「下妻物語」を観た時には、あのロリータファッションや独特の世界、これをアメリカに紹介していないのはおかしい、そして、こんなに面白いものは他にも沢山あるだろう、と思いましたね。それでVIZピクチャーズの設立に至ったわけです。

昨年オープンさせたNEW PEOPLEについて
 日本町にあるあのビルが売りに出ているという話がきた時、偶然にも小学館の不動産に関する担当者が日本から来ていたんです。それでまずは場所を見てみよう、と一緒に行ってみたら、駐車場だった地下は映画館にちょうどいい。そこでまた小学館の出資を受けて、日本の作品を上映する映画館を中心に、日本のポップカルチャー全体を伝える場所を作っていこう、ということになりました。一番の目的は、今の日本を知ってもらうこと。そのために中途半端なことはしたくなかった。ビルには現在、ロリータ系のブティックやリテールショップが入っていますが、雑貨、アート、書籍など扱うものは全て僕とスタッフが実際に日本に見に行き、これだと納得したものばかりを置いています。この空間に入ってきた人に「日本って面白い、行ってみたい」、そう思わせられたらこっちの勝ち、そんな風に思っています。

夢や目標を実現させるために大切だと思うことは?
 僕の場合は、相賀さんとの出会いをはじめ、奇跡的な偶然が次々と重なって開いていったという感があります。でも子どもと同じで、何かが欲しいと思ったら欲しくて仕方ないから、とにかく手に入れる、というところはありますね。失敗もたくさんしていますが、すぐに忘れてしまうし、人に相談したりもするものの、ネガティブな意見は耳に入らない。人の話を聞かないんです(笑)。ただ、いい加減なものは絶対ダメ。これだけのものを用意したんだから誰かがひっかかってくるだろう、そう思えるまでこだわります。

日本町という場所について
 NEW PEOPLEはお洒落なファッションストリートではなく、絶対に日本町になければならなかったんです。以前はとにかく「面白いことをしよう」という気持ちが強く、「日本人として」ということに関しては無自覚だったんですが、自分なりに日系人の歴史を調べたりし、それから特に9・11同時多発テロが起こったことがきっかけで、世界における日本の役割というものをだんだんと強く意識するようになりました。日本は歴史的に見ても、外から受け入れたものを自分のものとフュージョンし、文化をハイブリッドさせるのが得意な国。自動車や電化製品などのハードだけでなく、アートやフード、ファッションなど、ソフトも外から受け入れ、繊細な美意識と哲学で磨き上げて、他に類のないスタイルに進化させてしまう。逆にアメリカは自分にパワーがあるからこそ、外を見るということは得意ではない。そんなアメリカにある日本町という場所で、柔軟性から生まれる日本の魅力を見てもらえたらと思います。

<インタビューを終えて>
 海外に出てはじめて、自分が日本人であることを強く意識する人は多いのでは。マンガをスタートとして、日本の魅力をつきつめてきた堀淵社長が、「繊細な美意識と哲学で磨き上げる」という日本独特の力を、意識してこのサンフランシスコから発信していることは、ここに住む私達にも大きなパワーを与えてくれるような気がしました。

(BaySpo 2010/04/09号 掲載)

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