一般編  Vol.149
林ヶ谷 昭太郎さん
 1938年5月5日福井県小浜市生まれ。大阪YMCAで英語を学ぶかたわら、関西大学法学部第2部に進学し国際弁護士を志す。当時最難関といわれたロックフェラー財団の研究生に応募、見事奨学金を得てUCバークレー国際学部に入学。1969年、CSUサクラメント校でEthnic Studyと日本語コース立ち上げ、現在は同校の名誉教授となる。一方、ポート・オブ・サクラメント日本語補習校の設立にも尽力し、校長を務めている。日本勲章の1つ「瑞宝中綬章」を伝達されるなど、その功績は国内外で非常に高く評価されている。
民族学や日本語教育を通し 日米の友好親善に尽力
 ポート・オブ・サクラメント補習授業校の設立と30年にわたる運営、カリフォルニア州立大学サクラメント校にてEthnic Studyおよび日本語コースを設立。現在は同校の名誉教授を務める林ヶ谷昭太郎さんにお話を聞いた。
林ヶ谷 昭太郎さん

(Shotaro Hayashigatani)BaySpo 1259号(2013/01/11)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年
 渡米のきっかけは、語学の勉強で通っていた大阪YMCAの所長に勧められて論文を書いた事です。「日米文化の考えの違い」というタイトルで書いた論文がロックフェラー財団によって優等賞に選出され、奨学金を頂きました。1963年8月にブラジル行きの高成丸で16日間かかってアメリカに渡り、UCバークレーに通うことになりました。とはいえ、私は徹底した日本びいきの人間だったんですよ(笑)。だからこそちゃんとアメリカを見てみたいとも思っていました。

ベイエリアの印象
 ベイエリアというか、自分が通うことになったUCバークレーの印象ですが「とにかく勉強熱心ですごい」と感じました。それまで自分が批判ばかりしていたアメリカとは違って、実際にアメリカに、バークレーに渡って「アメリカは良い」ということがわかってきましたね。

自分の専門分野について
 民族学です。1969年にCSUのサクラメント校にEthnic Studyと日本語コースを創設しました。

その道に進むことになったきっかけ
 ロックフェラーからの奨学金が半年分しかなかったので、その後勉強を続けて生活をするために、仕事が必要だったというのが第1の理由で、バークレーのOriental Languageの中村進教授のもとでティーチングアシスタントをさせてもらうことになりました。その後、CSUサクラメント校でEthnic Studyを創設したのは、民族間の歴史や思想をより深く学ぶという目的からです。1963年のジョン・F・ケネディ暗殺、1968年のキング牧師暗殺とロバート・ケネディの暗殺という3つのショッキングな事件が立て続けに起き、きちんとした知識を持たないとこのような悲惨な歴史を繰り返してしまうと考え、創設をしました。

英語で仕事をするということ(英語を使うということ)
 最終的には英語の勉強をしなければいけないとバークレーの中村教授から言われ、英語が本当に苦手だったので、徹底して英語の勉強をやりました。1年で6コースの英語クラスを受講した時期もあり、当時は苦労しましたが、それの経験があったからEthnic Studyのような難しい分野でも英語でレクチャーできているのだなと思います。

英語で失敗したエピソード
 日米政治社会経済学会にアメリカ側の通訳として行った時のことですが、州議会議長のジョークを上手く訳すことができずに棒立ちになったこともありました。あんなに冷や汗をかいたことはないです。また、アメリカ流のメモの取り方がわからず、清書をしてもらう為にアシスタントにメモを渡したものの全く対応をしてもらえなかったり。失敗ばかりです。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 元々法学部でしたので、法律をもう一度勉強したいです。今は49年間アメリカにいて英語が第1言語になりつつありますが、やはり細かいところはいまだにわからないですね・・・。

いまの仕事に就いていなかったら
 本が大好きなので作家。特にノンフィクションが好きです。

現在、住んでいる家
 一軒家に住んでいます。4ベッドルーム、ゲストルーム、リビングルームと2台分のガレージ。とても生活しやすく、気に入っています。

乗っている車
 今は目が悪くなってしまったので自分では運転できませんが、トヨタ CAMRYとSUBARUを妻が運転してくれます。

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 胃がんの手術をしたのですが、その手術後からは食事を5回に分けて食べなくてはならなくなったので、睡眠もそれに合わせてとっています。1回に寝られるのは3〜4時間半。朝は6時前に起きてニュースを見るのが日課です。

休日の過ごし方
 読書。近くに旅行にいったりしますが、読書だけは欠かさず、週に2冊は必ず読むようにしています。スポーツ観戦も好きですね。特に野球やバスケットが好きです。

好きな場所
 サクラメントには緑の多い公園がたくさんあり、Folsom Lakeの周辺も日光浴をするのにとてもお気に入りの場所です。

よく利用する日本食レストラン
 お客さんを連れて行くのは「Mikuni」です。刺身がとても美味しいんですよ。家族とよく行くのは「Mana」という日本食レストランです。

1億円当たったとして、その使い道
 日本の田舎(福井県小浜市)の家を改築したいと思います。残り半分以上は学校や大学に寄付を希望します。

日本に戻る頻度
 ほとんど帰ってないんですよ。2〜3年に一度で、最近戻ったのは5年前です。

最近日本に戻って驚いたこと
 同じ年代の人たちの考え方が自分とは全然違うことです。若い人たちが家から離れていってしまって、あとは死ぬのを待つだけという寂しい人が多いのはとても悲しいことです。家族の絆が弱くなってきているのかなと感じました。

日本に持って行くお土産
 サクラメント名物のアーモンドでしょう。あとは、ナパではなくサクラメントのワイン。2ケース日本に送った事があるのですが、とても喜ばれました。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 大抵のものはこちらで買えますが、日本の新茶。京都などで有名なニシンなどの魚は、申請をして持って帰ってきます。

現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき
 病気をした時も適切な治療を受けられたし、特にないですね。目が悪くなってからは自分で運転できないのが少し不便ですが、それ以外はありません。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 泥棒! 過去に2回入られ、とても怖い思いをしました。

日本に郷愁を感じるとき
 中学・高校の同窓生に会いたいと思う時ですね。今でも連絡を取っている仲間がいて、私が日本に帰ると必ず集まります。「だべる会」というただお喋りをする会を仲間8人でやっています。

お勧めの観光地
 私は山や川といった自然が好きなので、ヨセミテ、レイクタホなど。

永住したい都市
 サクラメント。とても気に入っています。緑が多いことや大きな地震がないですし、果物がとてもおいしいのもいいですね。以前住んでいたバークレーは、いつでも議論が始まってしまうような土地柄だったが、サクラメントはフェデラルでそういった議論が起きないのも住みやすいと思う要素の1つかもしれません。

5年後の自分に期待すること
 長生きしていたいな、と思います。今79歳ですが、85歳までは生きたいですね。

最も印象に残っている本
 宮沢賢治の本、全て。もしくはジョン・F・ケネディの回想録。

最近読んだ本
 小林道正著『数学的発想勉強法』/『Strangers of These Shores』

自分を動物にたとえると?なぜ?
 犬。戌年なので。それも、あちこちに行ってしまう野良犬のような犬。

座右の銘は?
 「Never Never Give Up」ウィンストン・チャーチル

(BaySpo 2013/01/11号 掲載)

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