一般編  Vol.154
田中 繁子さん
 兵庫県神戸市出身。日本で12年間幼稚園教諭を務め、結婚を機に渡米。金門学園やサンフランシスコ日本語補習校などを始めとした多くの教育機関で幼児教育に携わり、4年に渡ってシティーカレッジの市民権講座の講師も担当。1981年にはABCプリスクールを創立。リタイヤをしてからはピアノや歌、紙芝居などのボランティアをシニアホームなどで行っている。
幼児教育とボランティアで 「人の役に立ちたい」
 長年幼児教育に携わり、ABCプリスクール創立者でもある田中繁子さん。アメリカで幼児教育に携わるまでには多くの苦労もあったといいます。そんな田中さんにベイエリアでの暮らしについて伺いました。
田中 繁子さん

(Shigeko Tanaka)BaySpo 1273号(2013/04/19)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 50年以上前になるでしょうか。結婚を機にサンフランシスコに引っ越してきましたが、残念ながら5年程で離婚をしてしまい、その後はずっと1人で暮らしています。渡米する前は12年間、日本で幼稚園の先生をしており、離婚をした後は日本で勤めていた幼稚園からも帰ってきて欲しいと言われました。日本に帰ったら生活も困らないし迷いましたが、せっかく来たアメリカですから、ここで頑張ってみようと思いました。

アメリカに残った理由
 戦争が終わった頃、私の住んでいた神戸は焼け野原だったんです。そんな何もない神戸の町を見て母が「日本はこんな状態になってしまったけれど、復興をするにはまずは良い幼児教育から始めなければいけない」と言いました。私の母も幼稚園を立ち上げたりと幼児教育に携わっていましたが、食べ物もままならない中、焼け野原を目の前に何を言っているんだと思う反面、心に深く響いた一言でした。母の一言は「日本の未来」への言葉でしたが、私は日本のためだけでなく、アメリカから世界に役立つ子供を育てたいと思ってアメリカに残ることを決めました。

当時のアメリカの生活
 それはそれは貧しかったですよ。英語も喋れない私に仕事なんてありませんし。そこで、スクールガールをしながら学校に通う事にしました。スクールガールとは、アメリカ人の家に住み込んで昼は学校に行って夜は家事の手伝いをする制度なのですが、報酬は月50ドル。それでも食事や眠るところが確保されるのでありがたかったです。またスクールガールを受け入れるのは裕福な家庭が多く、ピアノが置いてある家もあって、誰もいないときに演奏するのがとても楽しみでした。

アメリカの印象
 私の両親も私もキリスト教徒なのですが、アメリカはキリスト教の国なのに人種差別などの差別が多いと感じました。

ベイエリアの印象
 私が来た当時はベイエリアは今よりも黒人が多く住んでいて、日本人はほとんどいませんでした。今は非常にきれいでお洒落なお店も多く建ち並ぶフィルモア・ストリートなどは、当時たくさんの人が路上に座り込んでいて、怖かったことを覚えています。

自分の専門分野について
 幼児教育です。日本で12年間、幼稚園の先生をしていました。アメリカに来てからも様々な教育機関で働き、ABCプリスクールを立ち上げました。専門は幼児教育ですが、シティーカレッジで55歳以上で市民権を取得する人のための講座の講師を4年間担当していました。

その道に進む事になったきっかけ
 やはり母の存在と言葉が大きかったです。

ボランティア活動について
 リタイヤしてから10年以上、シニアセンターでのボランティアを続けています。ピアノや歌、最近では大人向けの紙芝居を日本から取り寄せて、お年寄りに披露しています。人のために何かをして、誰かが喜ぶ顔を見るのがとても好きなんです。
 
英語で失敗したエピソード
 英語は苦手意識があるので、あまり使いません。なので、失敗もしないんですよね。それが今思うと失敗だと感じています。詰まりながらも話した方が良いのはわかっているのですが、悔しいですね。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に
 それでも同じ仕事を選んでいるでしょうね。やはり幼児教育に携わりたいと思っています。

住んでいる家 
 サンフランシスコにある1ベッドルームのアパートメントです。バスも近いし、便利で引っ越せません。

乗っている車
 車は持っていませんので、全てバス移動ですが不便には思っていません。

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 起きるのは朝の9時半、寝るのは1時、2時になってしまいます。仕事をしているときの就寝時間が染み付いてしまっていて、なかなかその習慣が変えられません。

休日の過ごし方
 何もする事が無い日というのはほとんどないので、そんな日があったら、朝起きて体操をして、エアロバイクに乗って、ピアノを弾いて、お散歩して。あとはぼーっとしています。

好きな食べ物
 イタリア料理が好きなんです。子牛の柔らかいお肉が好きです。ただ、最近は身体のことも考えて食べ過ぎないようにしています。

よく利用する日本食レストラン
 糖尿があるので白米があまり食べられないのですが、日本食は好きです。日本町の串鶴(KUSHI-TSURU)や喫茶幸に良く行きます。スーパーミラのお弁当もとても美味しいのでお勧めです。

1億円当たったとして、その使い道
 東日本大震災の被災地に寄付したいです。私がアメリカに居るからなのか、震災の直後はおきてからすぐには全然実感がなかったんですけど・・・時が経って被害の甚大さを感じています。1億円は当たっていませんが、これまでに4000ドルほど寄付をしました。私なりの精一杯ですが、お役に立っていればいいなと思います。

日本に戻る頻度
 ABCプリスクールで働いている15年間は、1度も帰りませんでした。退職してからは結構頻繁に帰っていましたが、腰の手術をしたので、最後に戻ったのは5年前です。長時間飛行機に乗るのも大変なんですよね。

最近日本に戻って驚いたこと
 私は神戸の出身なのですが、自分の家のすぐ近くはあまり変化はありませんでしたが、そこまでの道が変わっていて、迷ってしまいました。自分の家に戻れなくて、携帯電話で姉に電話をして尋ねてしまった程です。また、神戸の街自体もおしゃれでハイカラな場所だったのに、ちょっと雑多な感じ、例えて言うなら市場のような感じになってしまって残念です。

ベイエリア生活で不便を感じるとき
 日本町の周りに住んでいるので、全く感じません。強いて言うなら英語での会話でしょうか。

ベイエリア生活で不安に感じること
 ほとんどありませんが、日本のお医者さんは親切だなと思います。アメリカの病院は、不親切とまではいきませんが、数分で診察が終わってしまったり、英語での病気の説明はしっかりと理解する事ができず、不安になることもあります。

日本に郷愁を感じるとき
 よくあります。何かをして忙しくしているときは良いのですが、何もすることがなくなった時間にふっと思います。

お勧めの観光地
 貧乏な生活が長かったので、旅行はあまりしていません。仕事を始めてからは忙しくなってしまって旅行できなかったり。近場だとサウサリートやモントレーはきれいですね。

永住したい都市
 気候がいいし、食べ物も美味しいのでやっぱりベイエリア、サンフランシスコです。

5年後の自分に期待すること
 生きている間はずっとボランティアをしていたいと思っています。行った先で「また来て下さい」と言われたら、また是非足を運びたくなりますよね。

最も印象に残っている本
 林芙美子の自叙伝です。「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」という彼女の短歌は今になって「その通りだな」と思います。

自分を動物にたとえると
 羊。理由は大人しいから(笑)。普段はあまり喋らないんです。

座右の銘
 福沢諭吉「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

(BaySpo 2013/04/19号 掲載)

▲Topに戻る

有澤保険事務所

自動車保険をはじめ、火災保険、アンブレラ、ビジネス保険、労災保険、生命保険、健康保険などを取り扱う総合保険会社です。Farmers
Insurance、Blue Cross等のエージェントであり、日本語できめ細やかな安心のサービスを提供しています。

有澤保険事務所
2695 Moorpark Ave, Ste 101, San Jose, CA, 95128
http://www.arisawaagency.com

有澤保険事務所
(408) 449-4808
No Reproduction or republication without written permission
Copyright © BAYSPO, Inter-Pacific Publications, Inc. All Rights Reserved.