ビジネス編  Vol.72
エミリー・ムラセさん
 ニューヨーク生まれ。ブライアンマウアーカレッジで日本現代史の学士号、UCSD国際関係学の修士号、スタンフォード大学でコミュニケーションの博士号を取得。AT&T東京オフィスなどに勤務した後、クリントン大統領第1期のホワイトハウスに勤務。2010年サンフランシスコ教育委員に選出され、日系人初の委員となる。現在はSF女性地位局の局長として活躍。
日系人初の SF教育委員会議員
 父方は山口県、母方は青森県に縁がある日系3世のエミリーさん。2010年に日系人初の教育委員会議員となったエミリーさんに現在の仕事やベイエリアでの生活についてお話を伺いました。
エミリー・ムラセさん

(Emily Murase)BaySpo 1279号(2013/05/31)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 生まれはニューヨークなのですが、2歳の時に移り住んできました。もちろん、記憶はありません(笑)。

ベイエリアの印象
 さまざまな人種が多く住んでいるな、という印象です。以前住んでいたNYは四季があり、移り住んだサンフランシスコは四季がはっきりしないので、同じ時間がずっと続いているように感じると私の母が話していました。

自分の専門分野について
 教育委員に選出され「女性地位局」の局長として働いています。市役所の部署の1つなのですが、ここでは家庭内暴力やレイプの被害者を救済するためのホットラインやシェルターなどの機関に資金を分配したり、ポリスデパートメントに話をしたりします。また、働く女性達の環境改善などについて企業と話し合ったりしています。

その道に進むことになったきっかけ
 夏のデイキャンプのカウンセラーをしていた時に、バスケットボールのリーグが開催されたんです。そこで男女混合チームを結成したところ、コーディネーターに「男の子のリーグだから、女の子は参加できない」と言われて、本当に驚きました。今思うと、そういったこともきっかけなのかもしれません。女性は家庭の責任と仕事の責任をバランス良く保って生活することが大切で、そうすることで家庭のため、そして社会のためになると考えています。

自身のキャリアについて
 私は大学で日本現代史を専攻し、新渡戸稲造を題材に卒論を書きました。彼は私の遠い親戚で、また奥様がアメリカ人であることに非常に興味を持ちました。卒業後は一時期はサンフランシスコにある非営利団体に勤めて、その後、国際関係学を学ぶためにUCSD(University of California San Diego校)に通いました。その頃の国際関係学というと欧州を対象としたものが多かったのですが、UCSDでの国際学はPacific Rimも対象とした珍しいもので、後の私のキャリアにも大きく影響しています。その後日本に住んでAT&T東京オフィスに勤務したり、政府の交換プログラムを利用してクリントン政権下のホワイトハウスで働いたこともあります。日米間の関係はあまり良くない時代だったので、日米貿易交渉のために日本大使館の方がホワイトハウスを訪れた際、日本語が喋れる私のような人間が働いているということで「クリントン政権のシークレットウェポンなのではないか」なんていう噂を立てられたりもしましたね(笑)。・・・女性のキャリアというのは往々にして一直線ではなく、さまざまな方向に進むもので、私もその一人です。

日本語で失敗したエピソード 
 デイキャンプのカウンセラーをしていた時に子ども達と話して身に付いた日本語を使っていたので「エミリーの日本語はおかしいよ」と昔は言われていました。その後は日本語の教科書で覚えた単語を使っていたら「ご飯釜」、「写真機」など、今では使われない日本語を多用してしまっていたみたいで、また笑われてしまいました。日本のAT&Tで働いていた頃に苦労をしたのは敬語です。特に電話は本当に苦労しました。

日本語が100%ネイティブだったらどんな仕事に
 外交の仕事に興味があります。

あなたにとって仕事とは
 他人を幸せにするもの。日米関係もより良くなっていけば、私もとても幸せです。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 空に興味があったので、宇宙飛行士。その話をしたら父に思い切り笑われてしまいましたが、私が男の子だったら、天体望遠鏡を買い与えてくれたのかな、なんて思ったりもします。中学生になった頃には、政治家になりたいと思っていました。

いまの仕事に就いていなかったら
 2つ思い浮かびますが、1つは、ツアーガイド。物を教えることが好きなので、現地の良いところをたくさん紹介したいと思います。2つ目は葬儀屋。人間が一番悲しいときに少しでも慰めることができたら。ただ、計画を立てることが好きなのですが、人の生死ばかりは計画的には行きませんからね・・・。

現在、住んでいる家 
 夫と2人の子ども達と一緒に、サンフランシスコにある一軒家に住んでいます。

乗っている車
 HONDA Civicのハイブリッド。日本車しか買いません。

最もお気に入りのレストラン
 「ひさご」です。日系人が経営しているお店はなかなか珍しくて、気に入っています。

1億円当たったとして、その使い道
 東日本大震災の被災地にコミュニティーセンターなどを建設して、復興のお役に立てて欲しいと思います。

日本に行く頻度
 一番最近だと「日系アメリカ人リーダーシップ・シンポジウム」に出席するために3月に日本に行きましたが、それが5年振りでした。なかなか行く機会がないんですよね・・・。

最近日本に戻って驚いたこと
 純粋に全てが「あー、変わってる!」と思いましたよ。特にスカイツリーは遠くから見ても存在感がありました。あと、3月は黄砂が酷くて驚きました。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 主人のリクエストで梅干し。信州のもので蜂蜜漬、減塩。これじゃないとダメと言われています。

現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき
 政策などはニューヨークやワシントンD.C.から新たな動きが多いことです。私も一生懸命活動をしていますが、その点ではなかなか・・・。今後はサンフランシスコからもどんどん発信していけたらいいですね。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 日本町そのものについて懸念しています。やはり活気がなくなっているように感じます。サンフランシスコは大阪と姉妹都市関係にあることもあり、現代的でイノベイティブなビジネスを日本町にもってこようという動きもありますので、その動きがより活発になって欲しいと願っています。

日本に郷愁を感じるとき
 日常の生活に四季を感じたときです。便箋の絵柄や和菓子に季節を感じて懐かしくなってしまいます。あと、ホテルとデパートのサービスは世界一だと思いますので、それらのサービスが恋しくなったとき。

お勧めの観光地
 ワシントンD.C.です。土地柄、無料の施設が多く、公共交通機関も発達していて、車両はもちろん、駅構内も冷暖房完備の地下鉄があるんですよ!

永住したい都市
 やはりサンフランシスコです。一度住んだら離れられないですよね。東京で働いている時は「東京もいいな」と思いましたが、当時の私は20代で独身でしたので。共働きで子ども達を育てている今はサンフランシスコが一番だと感じています。

5年後の自分に期待すること
 子ども達も成長して、ある程度独立していると思いますので、やりたいことは山ほどあります。1つは既に始めようとしていますが、より良い日米関係を築くための勉強会や話し合い。もう1つは、漢字の読み書きを勉強して、今よりも上手く日本語が使えるようになっていたいと思います。

最も印象に残っている本
 日系人初の上下両院議員として活躍されたダニエル・イノウエさんの著書『Road to Washington』 です。

最近読んだ本
 小川洋子著『博士の愛した数式』の翻訳版『The Professor and his BelovedEquation』を読みました。内容が日本的で面白かったです。

自分を動物にたとえると
 巳年なので、蛇でしょうか。爬虫類は置かれた環境に順応するといいますから、そんなところも似ていると思います。

座右の銘は?
 「一期一会」。元は茶道に由来することわざですが、母が表千家の先生だったので良く言っていました。私もスピーチなどで「一期一会」について話したりもします。

(BaySpo 2013/05/31号 掲載)

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