一般編  Vol.207
吉田 隆さん
北大卒。同大学院で小児科医の研修、博士号所得後渡米。シカゴの大学病院小児科において腎臓メタボリズムの研究に従事。その間、国立衛生研究所(NIH)フェローとしてケンブリッジ、オックスフォード大学へ留学。1972年シカゴのノースウエスタン大学小児記念病院で研修を開始。1973年からスタンフォード大学で研修。1976年にベイエリアで開業。今年で開業40周年、満88歳の米寿を迎える。
子供の笑顔を見るのが生きがい
ベイエリアで小児科医院を開業して今年で40年。米寿を迎える今も現役の医師として、毎日診療を行っている吉田先生に、ベイエリアでの暮らしぶりを伺いました。
吉田 隆さん

(Takashi Yoshida)BaySpo 1443号(2016/07/22)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ、渡米した年
 1973年にスタンフォード大学の小児科レジデントとして、シカゴのノースウエスタン大学小児記念病院から移ってきたのがきっかけです。それ以来今までずっとベイエリアに住んでいます。初めて渡米したのは1956年。北海道大学医学部で大学院博士課程を修了した直後でした。当時は北大の医局にも渡米経験のある人は誰もいない時代でしたが、大学院時代からアメリカに行きたかったので英語が話せるようになりたいと思い、出張先の網走で外国人の牧師にお願いして英語を勉強するとともに、特研生の奨学金を渡米の旅費用に貯めていました。いよいよ渡米することになりましたが、そのころは飛行機でウェーク島を経由して、サンフランシスコそしてロサンゼルス、そこからヒューストンという長旅です。その時の所持金はたった35ドルでした。

ベイエリアの印象
 シカゴに住んでいた後でベイエリアに来ましたが、スタンフォード周辺などは本当に綺麗でどこか別の外国に来たようだと思いました。

自分の専門分野について
 元々交換留学生として渡米したので、5年以内には帰国予定でしたが、実は渡米1カ月後に父が事故で突然死亡、そのことは半年後まで知らせられなかったのと、その1年後には北大小児科の教授が心梗塞で急に他界したので心底途方に暮れました。その時Metcoff教授がアメリカに残って本来の目的の研究を続けるよう勧められたので思い改め、シカゴのマイケルリース病院でリサーチフェローとして仕事を始めたのです。主な研究内容は腎臓のエネルギー代謝と生理との関係についての仕事でした。その間、国立衛生研究所(NIH)のフェローとして、1年ずつケンブリッジ大学とオックスフォード大学に留学して、オックスフォードでは1953年にノーベル生理学賞を受賞したProf. Hans Krebsの下で研究に携わりました。

その道に進むことになったきっかけ
 イギリスから戻って来てから数年またシカゴで動物を相手の基礎研究を続けていました。リサーチの仕事をしていたときは、それなりにその分野での最先端を行っているという自負と楽しさがありました。しかしそれまで一緒に研究を共にしてきたMetcoff教授の退職が間近くなったのがそれからの自分の人生のあり方を考え直すきっかけとなりました。それを一つの転機として、43歳で遅まきながら「今一度臨床に体当たりしてみたい」と思い、人生再出発の道を選びました。そこで、外国人卒業生のための国家試験(ECFMG)を受験して合格、シカゴのノースウエスタン大学小児記念病院でのレジデントに行きました。そこを1年で出て、スタンフォード大学に移り、小児科のレジデントと新生児科のフェローなどをしながら3年いました。その間にカリフォルニア州の開業医の資格試験を受け、1976年に象牙の塔から飛び出して、サンノゼで小児科医院を開業。その後数年サンノゼのオコーナー病院近くの小児科クリニックで、数人いる医師の一人として勤務をしていました。小児科病院をサニーベールに開いたのは1996年、マウンテンビューの現在の処に移ったのは2006年、それ以来ずっとここで診療を続けています。

これまで仕事で最も大変だったこと
 スタンフォードのレジデントの時でしょうね。レジデントの給料は少なかったので、私は結婚していて家もあり、子供も2人いましたから、日曜日は別の病院で朝9時から夜11時までアルバイトをして生活費を稼いでいました。そのほかに、小型飛行機でフレズノやベーカーズフィールドなどに飛ぶ、夜間の救急診療に行くと1回に60ドルもらえたので、その分を貯めて結婚記念日のために使ったのを覚えています。

英語で仕事をするということ
 渡米当時はまったく英語が出来なくてとにかく大変でした。当時研修医として働いていた病院では、緊急外来などにもまわるのですが、うまく話せないので患者さんとは筆談でコミュニケーションをとっていました。看護師さんたちが時間のある時にみんなで私のために英語の特訓をしてくれたものです。

あなたにとって仕事とは?
 人生の生きがいでしょうか。幸いにも白い巨塔の門外を経験することになり、それぞれの良い点、悪い点を体験しました。それはそれで人生の糧となり後悔はありません。小児科をやっていてよかったなと思うのは、やはり子供がかわいいこと。来たときに泣いていた子が帰るときに「さよなら」と言って、にっこり笑うのを見るのは本当に楽しくて、小児科医師冥利に尽きます。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 戦時中の子供ですから、陸軍大将になりたかったですね。うちは貧乏だったので、学費がいらない将校が行く士官学校に行きたいと思っていました。医師になったのは母が病気がちだったことがきっかけだったんでしょうね。小さいころ、よく母が熱を出したり具合が悪そうにしていたのを覚えています。それで、旧制中学の4年生修了後に北大を受験したんです。

現在、住んでいる家
 ウッドサイドの一軒家に住んでいます。

乗っている車
 レクサスのセダン車「350」。

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 6〜7時間です。夕食後に少し眠り、夜11時ごろに就寝、朝は5時に起床します。

休日の過ごし方
 毎週日曜日には2〜3人の医者仲間とゴルフのハーフラウンドを周ります。誰もスコアなどキープしないで、ワイワイとプレーを楽しむ時間です。ゴルフを始めたのは60歳になってから、六十の手習いですね。1時間半ほどプレーした後はエルカミノホスピタルに行って、新生児室で生まれたばかりの新生児を診ます。

好きな場所
 自宅のデッキです。夕方、そこで夕日を眺めながら、30分ほど瞑想するのが好きです。

よく利用する日本食レストラン
 寿司が好きなので、キャンベルの「Sushi Zono」にはずいぶん以前からよく行っています。

1億円当たったとして、その使い道
 半分は出身校の北大に寄付して、もう半分は自分や家族のために使うと思います。

日本に戻る頻度
 2年に1回か2回くらい。

日本から持って帰って来るもの
 北海道の利尻昆布、だし類。
 
最も印象に残っている本
 家中が本だらけになってしまうくらい読書が好きで、とにかくいろいろな本を読みます。好きな作家は司馬遼太郎。漢詩、唐詩選、歴史物の書物を好んで読んでいます。

最近読んだ本
 宮部みゆきの『火車』です。

最近観た映画
 映画はほとんど観ません。でも年に1度くらいは、家内が観たいという作品を観に映画館に行くことがあります。要するに出不精なんですね。

自分を動物にたとえると? なぜ?
 熊。北海道生まれだからでしょうか。熊は恐ろしいけれど面白い動物だと思います。オフィスにも熊の置物をたくさん飾っています。

(BaySpo 2016/07/22号 掲載)

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