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| 一般編 Vol.127 |
ジェーン・スペンサー・ミルズさん |
デトロイト生まれ。高校卒業後、ロータリーの留学プログラムで福岡県大川市で日本の高校生活も経験しながら一年間ホームステイを経験。帰国後マサチューセッツ州アマースト大学在学中に同志社大学で一年間語学留学。大学卒業後、サンフランシスコに移動。カリフォルニア大学バークレー校で教員免許を取得し、ミルズ高校で日本語を教える。ボランティアのソプラノ歌手としてサンフランシスコ•シンフォニーのコーラスで年間10回ほど歌う。 |
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日本語を通して友人を一人でも多く |
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デトロイトで育ち、日本文化には全く触れずに育ったジェーン•スペンサー•ミルズさん。ひょんなことから日本への留学を決め、高校生として、大学生として、そして母親として日本で3回の長期滞在を経験し、現在はミルブレー市のミルズ高校で1991年から日本語教師を務める。ミルズさんのベイエリアでの生活を聞いた。 |
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ミルズ高校 日本語教師(Jane Spencer Mills) | BaySpo 1175号(2011/06/03)掲載 |
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日本語教師になったきっかけは? 会社などで、大人に日本語を教えたいと思っていたのですが、彼らの目的は人とのふれ合いではなく、どうしてもビジネスが絡んでくるので狭い日本語しか興味を持ってくれなかったのです。悲しく思いました。子どもたちになると、自分たちが伝えたいことを話そうとするので世界的視野も広がり、様々な可能性が見えてきました。大人はミディアムレアで硬く、新しい考えは受け付けませんが、子どもはレアですのでそこが柔軟です。
どのような日本語教育を? 日本語が好きな子どもが多いです。成績が悪くても、日本が好きでがんばってます。他の勉強と違い、暗記ばかりでなく知っている言葉を組み合わせて彼らの意見を述べてもらい、実際に会話をさせます。すると、彼らが上達していることを私も見れるだけでなく、彼らも感じることができるんです。日本語に自信をもって日本に行き、日本の友達ができると楽しいですよね。ミルズ高校を卒業して、日本語を勉強していなくてもふとした機会に友人ができますよね。 授業の一貫でお茶の先生を呼んだり、社会科見学でサンフランシスコ日本町へ行くこともあります。 教師を始めた当初、日本語をどのように教えていいものか分からなかったので自由に教えてました。間違いもいっぱいしましたが、生徒も熱心で楽しかったです。教えるなら、日本語知識と「教えたい」という情熱がないと子供たちも受け入れてくれません。「一緒にがんばろう」という気持ちを全面に出さないと、生徒も「退屈な3時間目、4時間目だ」と感じるだけなんです。一緒に楽しんで勉強しないと意味がないでしょう。
日本ではどのような体験を? 高校を卒業してからロータリーの留学プログラムに入って、福岡県の大川市に一年間ホームステイをして高校生活も経験しました。当時、デトロイトから飛行機を6つ乗り継いで福岡県に着いたときは「ここはどこ、私は誰?」みたいな感じでした。でも「ウエルカム ジェーン」のバナーを持ったホストファミリーを見た時はホッ〜としました。細い道路を通り、家具屋さんが多い大川市に着きました。最初の一年はホームステイを5件回り、色々な家族を体験できました。お父さん、お母さん合計10人に加え、おじいちゃん、おばあちゃん、兄弟がたくさんできました。日本語は、前の家庭での間違いを家庭が代わる度に直していきました。大川祭の歌唱コンテストで大橋純子の「シルエットロマンス」を歌って優勝したのですが、当時まだ日本語がよく分からず、自分が優勝したことも気付かずに祝勝パーティに参加してました。 2回目は、アマースト大学3年生の時に京都でホームステイしながら同志社大学で勉強しました。3回目は2002年、1年間休暇を取り主人とそのころ四才の娘と京都で一年間を過ごしました。考えてみると、高校生、大学生、ママとして3回日本で暮らし、違う感覚で日本を経験しました。高校生のころの私は学校でも町でも目立ちましたが、友人やホストファミリーと話しているときは普通の会話ができたことが楽しかったです。ママになってから行った日本では、隣に住んでいた奥さんと子どもの育て方や今晩の夕食なんかの話をしていて「言葉がバリアーにならず、二人の人間が普通に意見をシェアしている」という普通の会話ができたことがなんとも嬉しかったです。言語の基礎は日本で作りましたが、日本語を教え始めたらもっともっと勉強になりました。
日本文化や言葉に興味を持った理由は? カリフォルニア州の子供たちと違って、ミシガン州の子供たちは日本に対して「日本は中国ではない」程度の知識しかないんです。高校を卒業するころ、地元ロータリーの人たちが私に「留学しろ」とうるさく、フランス語を勉強していたので、フランスに行こうかなと考えていました。ただ「せっかく一年間どこかで勉強するなら、全く知らないところが良いかも」と思い、ブラジル、南アフリカ、エジプトなどたくさんの候補から「日本は面白いかも」とあっさりと決めたんです。本当に日本の知識は全くなく、留学前にひらがなだけを勉強しました。フランス語を教えてくれた先生はがっかりしてました。
日本語で失敗したエピソード 日本で自己紹介したときに「初めまして。私はジェーンです。長男です」と言ったら大爆笑でしたね。以前だれかが「長男」という言葉を使っていて、何となく年上のことを意味すると分かったので次に使おうと思っていたんです。逆に「長女」だと「ちょうちょ」でバラフライみたいじゃないですか。
日本の好きなところ アメリカでは、他人のことはあまり気にせず自分が中心の生活をしていますが、日本人は身の回りやよその人のことを気遣ってくれます。よその人のことを考えて思いやることは良いことだと思います。
ミルズさんにとって仕事とは? よその人に役に立って、自分にとって楽しめるもの。
生まれて初めてなりたいと思った職業 オペラ歌手です。高校2年生までこの夢があったんですよ! 現在はボランティアでサンフランシスコ•シンフォニーのソプラノ歌手としてコーラスに所属しています。年間10回ほどデービスホールのリサイタルに参加します。
いまの仕事に就いていなかったら 色々作るのが楽しそうなので大工さん。クラシック歌手。でも歌手になったらコンサートツアーで家族と離れて旅行するかもしれませんからやりません。
乗っている車 トヨタのプリウス。ハイブリッドなんですが、サンフランシスコは坂が多いのでマイレージがそんなによくないんです。
睡眠時間・起床時間・就寝時間 日本の友達はいつも笑うんですが、7•5時間寝ないといけません。できれば10時に寝て6時に起きるのですが、モダンの生活では調整できないです。
休日の過ごし方 近くのカフェで本を読むのが好きです。先週娘と「thrift store」へ服を買いに行きました。楽しかったです。歌の練習もします。
好きな場所 京都です。夏で暑いなかにも、すずしい所もあったりします。世界遺産の苔寺(西芳寺)が私のお気に入りです。苔の緑色が寺内を敷き詰めています。
好きな日本食 カボチャやひじきの煮物。茶碗蒸しなんか家で料理します。
1億円当たったとして、その使い道 税金がややこしいので、Habitat for Humanity(恵まれない人々に住居を提供する非営利団体)などの慈善団体にあげると思います。
最近日本に行って驚いたこと 少年があまりに背が高くて、バス内で真っすぐに立てずにかがんでいたこと。
日本に持って行くお土産 シーズキャンディーのチョコレート。ホームステイしていたころは、兄弟の子供たちに英語の絵本。
日本からベイエリアに持って帰ってくるもの お寺にあるお土産屋さんでハンコを学校用に買います。あとは焼き物、モンペ、天神さんで買ったはおりなど。
日本が恋しくなることは? アメリカの銭湯に入ったとき。アメリカ育ちの娘もこちらでは「お湯がぬるい!」と言ってます。
お勧めのベイエリア近辺の観光地 京都の北山通りみたいにかわいらしいお店が並ぶカストロとミッションストリートの間の18thストリートと、25thストリートと14thストリートの間のバレンシアストリート。
5年後の自分に期待すること サンフランシスコ•シンフォニー以外に私の通う教会でソロで歌ってますが、もっともっと音楽のリサイタルをしたいです。
最も印象に残っている映画 スタジオジブリの「おもひでぽろぽろ」。都会から田舎へ旅立つ主人公と、デトロイトから田舎の大川町へ旅立った自分が重なりました。
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■インタビューを終えて ミルズ先生の授業風景を見学してきました。最初、金髪で目の青い女性が日本語を教えている風景に違和感を感じましたが、気付くと、授業内容だった「お宮参りの礼儀作法」を身を乗り出して生徒と一緒に学んでいました。アメリカ的なジョークも日本語で話し、生徒の注意も引きつけ本当に楽しい授業でした。
(BaySpo 2011/06/03号 掲載) |
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