一般編  Vol.285
石原 眞弓さん
東京都出身。国立音大ピアノ科卒業。各地で演奏、ヤマハ専属講師。東京の私立校で音楽の教師を経て1989年からアメリカ生活。1992年から1999年までインターナショナルスクールで伴奏を務め1999年再びベイエアリアで現在に至る。
ピアノと共にあり続ける人生
国立音大ピアノ科を卒業後、ピアニスト、伴奏者、ピアノ教師として活動。6歳のころから現在まで、ピアノのある人生を歩んできた石原さんに、ベイエリアでの暮らしぶりを伺いました。
石原 眞弓さん

(Mayumi Ishihara)BaySpo 1580号(2019/03/08)掲載

ベイエリアに住むことになった
きっかけ、渡米した年
 夫の最初の転勤がサンマテオで、1989年の7月でした。サンフランシスコの大地震の年です。1992年に日本へ戻り、6年後の1998年に2度目のベイエアリア転勤がありました。その時は娘が高校生最後の12年生でしたので、卒業後、娘と私は1999年に渡米しました。

ベイエリアの印象
 最初の渡米が7月の末でしたが、気候がからっとして涼しいのに驚きました。何もかも日本より広くて大きく、車の運転も今のベイエアリアとは違いゆったりした印象でした。               自分の専門分野について
 クラシック音楽のピアノが専門です。小学校から高校まで国立音大の付属校、そして音大のピアノ科卒業まで一環教育を受けたので、ピアノは私の生活に密着しています。大学卒業後はアンサンブルピアニスト、ソロピアニストとして演奏をしてきました。娘が通っていたインターナショナルスクールでは、幼稚園から高校までのコーラスの伴奏をすべてお手伝いしました。一年に一度のインターナショナルスクールの生徒によるコンクールの審査員も務めさせていただきました。子供が好きなのでピアノの教師もやりがいのある仕事です。生徒さんと共に譜読みから暗譜まで曲を作り上げ、生徒さんの上達を見るのは何よりの喜びです。2002年ピアノトリオのメンバーを作り、毎週我が家で練習をしています。1年に一回のリサイタルの他、結婚式やお葬式などでも演奏いたします。サンフランシスコシンフォニーのファンドレイジングの集まりにもご招待いただき、演奏をいたしました。

その道に進むことになったきっかけ
 6歳の時からピアノを習い始めましたが、ピアノの道に進みたいと思ったのは小学校5年生の時だったと思います。初めての曲の譜読みから始まり難しいテクニックが毎日の練習の末に弾けるようになる喜びは素晴らしい感覚です。結婚、出産、アメリカ生活と人生の節目ごとに形は変わりましたが、ピアノのある生活は変わらず、そのことに感謝する毎日です。

英語で仕事をするということ
 最初のアメリカ生活では英語が聞き取れない・話せないで厳しい毎日でした。不思議なことに帰国後、娘の学校のお手伝いをするため英語を話す生活になりました。最初は英語を話すことが緊張の連続で疲れましたが、現在は少し慣れました。発音は日本語英語で語彙は貧弱ですが、耳だけはいいので綺麗な英語を聞いたときはまねをするようにしています。新聞の記事などで使えそうな文章はノートに書いて覚えるようにします。

英語で失敗したエピソード
 数え切れないほどあります。スーパーマーケットで「プラスチックですか、ペーパーですか?」と聞かれたとき、それすら聞き取れなくて恥ずかしい思いをしました。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 100%バイリンガルでしたら同時通訳で、ピアノは趣味にしていたかもしれません。

あなたにとって仕事とは?
 楽しみ、生きがい、学びの連続でしょう。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 バスの車掌さんです。小学校のころから電車とバス通学をしていましたので、毎日乗るバスの車掌さんが、切符を切ったりお客さんに渡したり、停留所のアナウンスやドアの開け閉めなどを行うのに憧れていました。

休日の過ごし方
 2002年に結成したピアノトリオの練習を日曜日の午後にしています。その他は買い物、庭の手入れ、家の掃除、かたづけなど。

好きな場所
 カーメルのポイントロボス。潮の香りをかぎながら海を眺めるのが最高です。

最もお気に入りのレストラン
 パロアルトのイタリアン「Il Fornaio」。家から近く、もう10年以上通っています。サンフランシスコの「Roy’s」も、シーフードがとてもフレッシュなので気に入っています。

よく利用する日本食レストラン
 以前はサンノゼの日本町にある「久保田」によく行きましたが、今は少し遠くなったので足が遠のいてしまっています。

最近日本に戻って驚いたこと
 電車もバスも買い物も1枚のプリペイドカードで賄えること。

日本に持って行くお土産
 ピスタチオやカシューナッツ。Bath & Body Worksのハンドソープは日本ではなかなか手に入らず、入ったとしても3倍か4倍もコストが高いので買っていきます。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 沖縄産と伊豆産の塩、北海道の出汁昆布、金沢の棒茶、静岡の煎茶などです。娘からは彩果の宝石を頼まれます。

現在のベイエリア生活で不便を感じるとき
 硬いプラスチックで固定されたものを求めた時、開けにくく手を怪我しそうで、日本の製品の良さをいつも思います。缶入りの食品は、まだ缶切りが必要なものが多いことも。日本では至れり尽くせりなのでしょうが、宅配便が日にちと時間指定ができればとも思います。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 公共の交通手段が良くないため、渋滞がひどく、事故も絶えないこと。

お勧めの観光地
 モントレー、カーメル、サリナス。私はアルコールを頂きませんが、ナパも魅力的です。モントレーはなんといっても壮大な水族館です。ラッコは可愛らしく一番人気ですが、私は電気クラゲの館が大変美しく大好きです。カーメルは可愛らしいダウンタウンの他、ミッション、少し離れていますがポイントロボスはハイキングコースもあり眺めが最高です。サリナスはスタインベックセンターやハウスなど興味深いところです。ナパは有名なワイナリーのほか、小さなワイナリーも楽しめます。

永住したい都市
 断然ここがいいです。一年を通じて気候が良く、特に夏は湿度が少なくからっとしており、エアコンなしでも心地よく過ごせます。海に囲まれているので海産物に恵まれ、新鮮な魚介類がいつでも手に入ります。私のようにお肉よりお魚党にはありがたいところです。日本食のスーパーマーケットが至るとことにあり、いつでも材料が手に入るのも住みたい理由の一つです。ただ、物価が高いのが一番頭の痛いことです。今では日本より何もかも高く信じられません。永住できるといいなと思っています。

5年後の自分に期待すること
 切磋琢磨できるよう健康でいられることですね。

最も印象に残っている本
 フレデリック・ショパンの伝記。肖像画とは裏腹に、波乱万丈の人生の中で素晴らしい曲の数々を作曲したことに感銘しました。『革命』を練習する時にショパンの祖国愛を感じます。

最も印象に残っている映画
 『マドソンブリッジ』。アクション映画やコメディ映画のようにテンポは速くありませんが、ヒロインの女性の心の微妙な変化がスクリーンからもひしひしと感じられてとても感銘を受けました。ヒロインの女性を演じたメリル・ストリープの映画はほかにも見ましたがこの映画が一番印象に残っています。

座右の銘は?
 感謝の気持ちを忘れずすべて全力を尽くす。

(BaySpo 2019/03/08号 掲載)

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