一般編  Vol.300
高野 ひろ子さん
1991年に渡米。1995年から9年間、シリコンバレー近郊の私立中学、高校で日本語教師として勤務。その後、日本と北米を行き来しながら、IT関連のコンサルティング業、アーティストのプロデュースとマネジメント、イベントの企画と運営、通訳と翻訳等、多角的にビジネスに携わる。2014年からは、多くの人が「本質から輝き、自由に楽しみながら豊かに生きる」ためのサポートに100%コミットし、不要になったエネルギー的ブロックを解放して心身のアンバランスを整えるエネルギー法、エモーションコード、ボディーコード、アクセスコンシャスネスのツールを使った個人セッションやワークショップを北米、ハワイ、日本でファシリテートしている。
より自分らしく自由に 楽しく生きるためのサポートを
留学を機に渡米後、日本語教諭、通訳、コンサルティング、マネジメントと様々な職種を経験。現在は個人セッションやワークショップを通じ、「人々がより自分らしく自由に楽しく生きるためのサポート」を行なっている高野さんにベイエリアでの生活について伺いました。
高野 ひろ子さん

(Hiroko Takano)BaySpo 1605号(2019/08/30)掲載

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 渡米は1991年の夏。最初の2年は英語の勉強がてら、サクラメントのカレッジで幼児教育を勉強しました。卒業後、もっとチャレンジがしたくなり、サンフランシスコ州立大学の大学院で日本語教授法を学ぶために1993年にベイエリアに引っ越して来ました。

ベイエリアの印象
 自然が豊かで、日本に比べて全体的にのんびりとリラックスしている感じがします。

自分の専門分野について
 ありのままの自分として生きることを制限する観念や信念、肉体やエネルギー体に未消化のまま閉じ込められた感情のトラウマ等を解放するエネルギーワーク、エモーションコード、ボディーコードの認定プラクティショナー、アクセスコンシャスネス認定ファシリテーターとして、個人セッションやワークショップを通して、人々がより自分らしく自由に楽しく生きるためのサポートをしています。

その道に進むことになったきっかけ
 2012年頃、アメリカ人の直感カウンセラーの個人セッションの通訳として、感情的なトラウマを解放していく革新的なエネルギー法、「エモーションコード」に日本で出会いました。通訳する時の役に立てば程度の気持ちで、エモーションコードの開発者、Dr. Bradley Nelsonの著書を読み、その手法について勉強したり、見よう見まねで自分自身にもエモーションコードを使ってみたりしたところ、当時抱えていた不安やストレスが大幅に軽減されたと同時に、かなりヘビーに吸っていたタバコに全く手が出なくなった等の驚くような効果がありました。すぐにオンラインコースを受講し、2013年1月に認定プラクティショナーになり、その後、アクセスバーズ等の様々なエネルギー法や人生を安らかで豊かにするツールを学んで今に至ります。

英語で仕事をするということ
 以前、日本語教師として私立中学と高校で務めていた時は、日本人は私一人で、一日のほぼ100%が英語という生活をしていました。当時は、ネイティブスピーカーの生徒たちにバカにされないように「正確に英語を話さないと!」とかなりがんばっていたように思います。でも、ある日ふと「自分の母国語である日本語も完璧じゃないのに、ましてや後から学んだ英語に完璧さを求める自分って変じゃない?」と気づき、現在は、肩の力を抜いて英語で個人セッションやワークショップをしています。

英語で失敗したエピソード
 渡米した当初、サクラメントにいた頃、ルームメートが飼っていたセキセイインコの話をアメリカ人の友達にした時に、「bird(鳥)」の発音が「bard(吟遊詩人)」になってしまっていたようで、話がまったく前に進まずにお互いイライラしたことがあります。

英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に?
 迷うことなく今と同じ仕事をしていると思います。いつも、面白そう! やってみたい! という興味と直感で仕事を選んできましたし、言語は所詮「道具」だと思うので、日本語でも英語でも仕事を決めるのにあまり関係ないですね。

あなたにとって仕事とは?
 ワクワクすること。楽しくてもっとやりたい! と思うこと。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 スチュワーデス。子供心に、いろんなところを旅したかったんだと思います。

いまの仕事に就いていなかったら
 いろいろと経験して遂に出会ったのが今の仕事。やりがいはあるし、楽しいし、お金を払ってでもやりたいと思うので、他の仕事は考えられません。

現在、住んでいる家
 エルサリートの2ベッドルームの一軒家です。最近引っ越しました。

乗っている車
 2019年のトヨタカローラ

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 睡眠時間、起床時間、就寝時間はその日の気分によってまちまちです。やっていることが楽し過ぎてノリに乗っている時にはずっと起きているし、眠くて仕方ない時にはずっと寝ている感じでしょうか。

休日の過ごし方
 ぼんやりとしていることが多いですね。YouTubeで日本のテレビ番組を見たり、遠出できる時はドライブがてら近場の温泉に行ったりします。

好きな場所
 シャスタ、ハワイ、バンクーバー

最もお気に入りのレストラン
 サンフランシスコ、リッチモンド地区にある焼鳥屋、HALU。イーストベイに引っ越してからはちょっとご無沙汰していますが、BGMのビートルズやローリングストーンズを聞きながらいただく生ビールと焼き鳥は最高です。

よく利用する日本食レストラン
 「居酒屋 ひろ子」かな。お料理をするのが好きなので、家にいる時は、冷蔵庫にあるものでちょこちょこっと何か作ってはおいしいお酒と一緒に楽しんでいます。基本、外では自分で作れないものを食べたいので日本食以外が多いですね。

1億円当たったとして、その使い道
 自分が好きなミュージシャンやパフォーマーのショーができる、こじんまりとした空間を作りたいです。

日本に戻る頻度
 春と秋、だいたい年に2回帰ります。

最近日本に戻って驚いたこと
 満員電車。日本にいた時にも混み合った電車にはあまり縁がなかったんですが、アメリカ生活が長くなった今は、押し合いへし合いしながら乗車する人々の姿を見て圧倒されました。

日本に持って行くお土産
 地元のコーヒー、ナッツ、ドライフルーツ、ワイン、See’sのチョコレート。日本には何でもあるので、できる限り地元のものを持っていくよう心がけています。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 無添加のお出汁のパックと一保堂のほうじ茶 。

現在のベイエリア生活で、不便を感じるとき
 公共交通機関が日本ほど良くないので、車に頼りっきりなことが不便に感じます。

現在のベイエリア生活で不安に感じること
 景気はいいはずなのに、テント生活をする人たちがたくさんいること。貧富の差がどんどんと激しくなることに疑問と不安を感じます。

日本に郷愁を感じるとき
 両親が亡くなってからは、あまり日本を恋しく感じなくなったように思います。今ではベイエリアがマイホームですね。

お勧めの観光地
 サンフランシスコだったら、太平洋を望むスートロバス跡とランズエンドの短いトレイル。郊外だったら、シャスタ山とその周辺。

永住したい都市
 ハワイ、オアフ島のノースショア

5年後の自分に期待すること
 健康で思いっきり楽しいことをしていたいですね。

最も印象に残っている本
 『夢をかなえるゾウ』水野敬也 著

最近読んだ本
 『Getting out of debt joyfully(借金から楽しく抜け出そう)』Simone Milasas著

最も印象に残っている映画
 『Eat Pray Love(食べて、祈って、恋をして)』

座右の銘は?
 人生万事塞翁が馬

(BaySpo 2019/08/30号 掲載)

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