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| 文化芸能編 Vol.19 |
メアリー佐野さん |
岐阜県各務原市に生まれる。京都外国大学在籍時代に、ミス・ジャパン「ミス水着」に選ばれたのをきっかけにモデルとして活躍。サンフランシスコで師ミニヨン・ガーランド氏(イサドラ・ダンカン・ヘリテッジ・ソサエティ創立者)に出会い、ダンカン舞踊の道に進む。1983年にはイサドラ・ダンカン・ヘリテッジ・ソサエティ日本支部を創設。1991年ミルズ大学舞踊学部大学院修士課程修了。1993年に「メアリー佐野&ダンカンダンサーズ」を結成、1997年にはメアリー佐野・ダンカンダンス・スタジオを創立、ダンカンの出生地・サンフランシスコを本拠地に、ダンカン舞踊4代目後継者・指導者として活躍する。www.duncandance.org |
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体にある自然の動きを呼び覚す |
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日本ではファッションショーや女性誌のトップページを飾るモデルとして活躍していたメアリー佐野さん。そんなメアリーさんの人生を一変させたのが、サンフランシスコで出会ったイサドラ・ダンカンのダンス。現在、ダンカンダンスの4代目後継者・指導者としてサンフランシスコを中心に各地で活躍するメアリーさんに話を聞いた。
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ダンカンダンサー(Mary Sano) | BaySpo 1131号(2010/07/23)掲載 |
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出身は? 岐阜の田舎でスクスクと育ったんですよ。私はお母さんが日本人、お父さんがアメリカ人という、いわゆるハーフです。小さい頃は金髪で目も青かったものだから、周りの人達はよく英語を勉強したくて私のところにきていたんだけど、英語は大学に行くまでそんなに上手じゃなかったの。それよりもしっかり岐阜弁を話していましたから(笑)。アメリカ育ちの私の息子も岐阜弁なのよ。
日本では? サンフランシスコに来る前までは日本ではファッションモデルをしていました。モデルになったきっかけは、大学在籍中、ハーフで背が高かったものだから、友達が私の写真をミス・ジャパンのビューティーコンテストに送ったのね。そうしたら「ミス水着」に選ばれちゃったの。それで、だんだんとモデルの依頼がくるようになって、だったらちゃんと本気でモデル業をやってみようと、東京のモデルクラブに入り本格的にファッションモデルをはじめたんです。そしたらすぐに売れるようになっちゃって。昔からダンスをやっていたので、オートクチュールのファッションショーなどでランウェイを歩くのは、とても楽しかったですね。でも何より、モデルの仕事をやってよかったのは、その後、自分が本当にやりたいこと、ダンカンダンスに出会ったときに、誰にも頼らずに全部自分のお金でできたことね。特にアートってなかなか経済的に大変ですし、そういう意味では本当にラッキーだったと思っています。
ダンカンダンスとの出会いは? 昔からダンスは好きでやっていました。引越してくる前にも、何度もサンフランシスコには遊びに来ていて、ここでタップからモダンダンスまでいろいろなクラスを取っていたんです。でも、どれもピンときたものがなかったんですね。現代舞踊では、グラハムテクニックが基になっているんですけど、外的でフィジカルなテクニック部分が重視され、なかなか内面的な深い表現にまで達せないことがあるんです。そんな中、1979年の夏にめぐり会ったのが、イサドラの直弟子、アンナ・ダンカンとイルマ・ダンカンから教えを受けたミニヨン・ガーランド先生。ミニヨン先生が伝える、人間の自然なしぐさやリズムを基にした自由で叙情的なダンカンダンスにすぐに惚れ込んでしまったんです。
サンフランシスコに引越したのは? サンフランシスコに住んでいた前の主人と結婚したのがきっかけではありましたが、ミニヨン先生に出会ってから、早くサンフランシスコにきてもっと学びたいと思っていました。モデルはもういつでもやめていいと思っていたんだけど、仕事のスケジュールが何年も先まで入っていたので、少しずつ準備して、1985年に引越してきたんです。
ダンカンダンスを教え始めたのは? ダンカンダンスに出会って4年後、ミニヨン先生の勧めもあって、日本に「イサドラ・ダンカン・ヘリテッジ・ソサエティ日本支部」を立ち上げて、教え始めました。その頃は私自身まだ駆け出しで、先生になることを目指していたわけでもなかったのですが、教えるというよりも、みんなとシェアする、仲間を増やす、そういう気持ちでやっていったらいいんだと思ったんですね。サンフランシスコでは、1993年に「メアリー佐野&ダンカンダンサーズ」を結成して、クラスやパフォーマンスの活動をしています。
ダンカンダンスはどんなところが特徴? 「自然に帰る」というか、自然の動きを大切にしたスピリチュアルなダンスです。外側からの意識や決まった形に体を合わせるのではなく、私達が生まれたときからすでに身体に備わっている動きを呼び覚まして、内側から自然に湧いてくるものを表現します。たとえば空に浮かぶ雲、風に揺れる木々など、自然界の動きから多くを学び、感じ、そしてインスピレーションとなって身体が動きます。音楽との調和も特徴で、ショパンやシューベルト、グルックらのクラッシック音楽に合わせた多くの作品が残っています。イサドラから3世代にわたって受け継がれてきた振り付けは、何度踊ってもハッとさせられることがあります。
未経験者でもできる? よく「体が硬くても踊れますか」って聞かれるんだけど、経験がなくても、体が硬くてもできます。ボディーはほんとうにマインドと微妙に繋がっていて、硬いと思えば硬くなるし、柔らかいと思ったら、本当にふわっと柔らかくなるものです。実際に精神をフリーにすれば体もフリーになる、ダンスは心なんですね。この夏から、初心者向けに新しいクラス「Dance Nature-Free your spirit」というのを企画しているので、踊るのがまったく初めてという方にもどんどん参加してもらって、体験してもらいたいと思っています。
今後の活動目標は? これまでも能楽の世界で活躍しているパフォーマーや、琴、尺八と踊ったりすることで、ダンカンダンスをベースに、自分のスタイルを磨くことをしてきましたが、今後も色々なアーティストとコラボレーションしたり、インプロビゼーションを入れたりして、どんどん新しい作品をクリエイトしていけたらいいなと思っています。もちろん、自然から学ぶというダンカンダンスの精神は忘れないことで、そのエッセンスが自ずと反映してくる、それでいいのではないかと思うんです。 今年は咸臨丸の来航150周年という日米関係にとって節目の年。少しでも日米関係の理解を深め、未来の友好をテーマに新しい作品の創作を手がけています。今年に入り、2月、5月にそれぞれ創作過程を発表し、今度は8月にパフォーマンスを予定しています。演劇の要素を取り入れて、咸臨丸をテーマに表現するというチャレンジングな内容なので、今秋のステージに向けて張り切っています。
メアリーさんのスタジオについて ここは1996年暮れに購入したときには、ただのコンクリートボックスだったんだけど、1年かけてスタジオに改装したんです。まず最初に敷いたのが、ダンサーにとって一番大切な床でした。翌年にようやく完成して、1ヶ月間、いろいろなアーティストに参加して頂いて数々のパフォーマンスをしてお祝いしたのよ。日本からもダンカンダンサーがきたりね。今はインドダンスやヨガなど裸足でするアクティビティに貸し出すこともあります。
日本に戻る頻度は? 最近は年に3回、東京や岐阜でダンカンダンス・ワークショップ教えています。東京やニューヨークだと大都会なので生徒は集まりやすいでしょうが、私はやはり田舎育ちだから、自然がないとダメみたい。ビルの谷間じゃ生きていけないんです。ベイエリアは文化もあるし、美しい自然もすぐそこにあるし、そのバランスが素晴らしいところですよね。
日本に郷愁を感じるときは? 日本には愛するかわいい母がいるので、一緒にいることが親孝行だと感じます。これまでサンフランシスコをベースに、日本と行ったり来たりしていましたが、ベースを岐阜に変えることもあるかもしれません。
5年後の自分に期待すること 健康な体を保ちながら、ダンスを通して世界に「調和」を広げ、表現の力を育て、創造し続けていきたいです。
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インタビューを終えて 光が燦々と差し込むメアリーさんのスタジオにお邪魔しました。窓から雲の流れを眺めながら、ダンカンの自然の精神について話すメアリーさんを見ていると、そこがサンフランシスコ・ダウンタウンの真ん中であるということをすっかり忘れてしまうほど、リラックスした空気が流れていたのが印象的でした。
(BaySpo 2010/07/23号 掲載) |
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