一般編  Vol.105
村田俊章さん
東京都出身。日本では主にマスコミ関係でメークアップアーティストとして活躍。1990年に渡米し、サンフランシスコへ。1994年にサンフランシスコ・ダウンタウンに自身のサロンをオープン。現在はフリーランスとしてベイエリア全域でヘアメークや、ウエディング、着物の着付けなど、ビューティーコーディネートの分野で幅広く活躍する。
パーフェクトな人なんていない。それぞれの個性を引き出したい。
サンフランシスコを中心に、ヘアやメーク、ウエディングや着付けなど、トータルに美を演出するスタイリストとして活躍中のトシさん。オリジナルバッグを作ったり、絵を描いたりとマルチな才能に加えて、楽しいトーク、チャーミングな笑顔にファンもたくさん。そんなトシさんのこれまでの道のりや現在の暮らしぶりを聞いた。
村田俊章さん

トータルコーディネーター(Toshi)BaySpo 1105号(2010/01/22)掲載

生まれは?
 東京の品川区双葉町の下町です。もともと両親と妹の4人家族だったんだけど、酒乱で賭け事好き、毎晩飲んでは暴れまくる父親から、3人で逃げては連れ戻される生活で、小さい頃からあまり温かい家庭を知らないの。学校も転々と変わるから、そのたびに教科書も変わって、学校の勉強には全然ついていけなかった。母は「勉強が苦手ならしなくてもいい。私も勉強できなかったから。その代わり好きなことに力を注げばいいよ」って言ってくれました。今思えば変な言葉だったけど、そのせいか音楽と美術だけはいつも「5」。テレビの歌番組のコンテストでチャンピオンになったりもして、学校でも有名になりました。本当は目立ちたがりの子供だったのね。でもイジメにもあいました。それにしても日本は相変わらずイジメの国ね。テレビ番組でも、ブスだとか、バカだとか言って人を公然と叩いたり、蹴ったりするんだから驚きます。それを当然のように放送して、それを家族で観て笑っている以上、悲しいけどイジメはなくならいないよね。


渡米するまで
 高校を卒業した後は、音楽が好きだったから自衛隊に音楽隊志望で入ったんだけど、自衛隊を辞めた後は、セールスマンからホテルマン、Gayバーの店員まで、とにかく食べていくために色々なことをやりました。20代半ばでオフィステンというプロダクションにも所属していたけど、鳴かず飛ばず。結局、メークアップの道に入ったわけだけど、大手プロダクションのタレントを担当するようになってからは、時代がバブルだったせいもあって、全盛期には月に300万円くらい稼いでいたのよ。でもハワイで出会った運命の人に恋をして、そんな日本の生活をすべて投げ捨てて、彼が住むサンフランシスコへやって来たんです。
 自分がGayだというのは先天的で、幼い時から既にわかっていました。それに対して後ろめたさは全くありません。だって人それぞれ違うのが当たり前だから。高校生だったある時、ベッドの下に隠しておいたGayの雑誌を母に見つかったことがあったの。家に帰ってきたら、その雑誌がベッドの上に置いてあるわけよ。私、顔面蒼白!でもその時、母はこう言ったの。「悪かったけどこの本、読ませてもらったわ。私も男が好きよ。今度その本が欲しかったら私が買っておいてあげる」って。しばらくしてから今度は、「着いておいで」って言って、私をある母の友人の家に連れて行ってくれたんだけど、そこでは男性2人がパートナーとして一緒に住んでいたわけ。そして母は「こういう愛もあるのよ。本当に好きになったら、その人のことを真剣に愛しなさい」って。その言葉があったからこそ、現在の私があるのだと思います。そんな理解者であった母親も40歳で他界しました。


ベイエリアの印象は?
 空が青いな、という印象が強かったです。それから、Gayにとっての環境は、カリフォルニアだからずいぶん自由なのかと思っていたんだけど、サンフランシスコ市内の一部だけで、少し郊外にでるとやっぱり日本と同じように、普段は隠れている人が多いのは今も変わらないわね。


ベイエリアに来てから
 彼と一緒に住みながら最初は英語学校に通っていたんだけど、彼が突然HIVで亡くなったの。自分のパートナーが目の前で亡くなってゆく悲しみ。母の死よりも辛かった気がする。その後、ようやく自分のサロンをオープンして12年間必死に頑張ってきたけど、色々なことがありました。2005年にはビザの切り替えに行ったら許可されなくて、自分の美容室を手放して、一時、国外退去。すべてを無くしました。自殺も考えたし、とにかくお先真っ暗という感じ。でもね、その一番苦しい時に学んだことがたくさんあったわ。きっと人間は、悪いことが起こっても、それを受け入れて学ばないと、いつまでたっても悪いことが起こり続けるんだと思う。絶対にくじけないで、ありがたいという気持ちを持って学ぶこと。それから友達を大切にすること。つらかった時期、本当に友達に助けられました。愛と感謝の気持ちを持つこと。焦らず、慌てず、あきらめず!これが私が学んだことです。


トシさんにとって仕事とは?
 自分の天職だと思っています。人の喜ぶ顔が私にとっては一番のご褒美!人との出会いが楽しくて仕方がないの。何人の人が本当に自分の好きなことをして生活しているのかな。やっぱり私は本当にラッキーなんでしょうね。もっと年をとっても、杖をついてでも仕事は辞められないわ。


英語で生活するということ
 最初はくしゃみをするたびに「Bless you!」ってすごい勢いで言われて、怒られてるのかと思ったくらい(笑)。今でも英語はパーフェクトじゃないけど、自分のアクセントもチャーミングだと思って、自信を持ってコミュニケーションしていきたいです。


英語が100%ネイティブだったら?
 ハリウッドのコメディアンになりたかった。今でも機会があったら挑戦してみたい!


最近日本に戻って驚いたこと
 私は流行に関係のない変な日本人になってきたみたいで、道に迷って、すみません、って歩いている人に声をかけたら、「要りません!結構です!」って逃げられたこともありました(笑)。そこで考えたのが、日本語がわからない日系人になること!不思議なことに、英語を話すと優しくしてくれるのよ。


ベイエリアの生活で不安を感じること
 カリフォルニアでは今、学校の予算カットが大幅に行われていて、特に美術とか音楽の予算が削られているでしょう。子ども達の将来が心配です。それから医療費、健康保険制度の問題。やはり老後はこの国、怖いね!


休日の過ごし方
 最近は生活をスローダウンさせて、なるべくリラックスした生活をするように心がけています。時間ができると音楽をゆっくり聴いたり、バッグを作ったり、絵を描いたり・・・。ゆっくりしているようで、手、創造力はいつも動いていますね。


好きな場所
 ハワイが一番好き。ビーチでぼーっとしているとエネルギー補給になります。


永住したい都市
 ベイエリアもいいけど、ハワイにも住みたい!


これからの自分に期待すること
 自分の才能を100%生かせる仕事がしていけたら、と思っています。着物のイベントで着付けもやったりするんだけど、伝統の中に新しいものを取り入れて、誰もが気軽に着物に接触できるようにといった活動もしていきたいですし、外側からも内側からも、トータルに輝くものを提供していきたいです。パーフェクトな人なんていない。それぞれ持っている個性をいかに引き出すか、そのお手伝いができたら嬉しいです。それを通して、助け合いの愛のパワーを少しでも伝えていきたいです。


インタビューを終えて
 インタビューのために、トシさんのご自宅にお邪魔しました。ドアを開けると、そこに用意されていたのは、トシさんお手製のケーキまでついたランチ。たっぷりの思いやりで人を迎える、そんなところがトシさんの人気の秘密なのだと思いました。

(BaySpo 2010/01/22号 掲載)

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