一般編  Vol.104
ベス・ケーリさん
京都市で生まれ育つ。カナディアン・アカデミー高等部を卒業後、ウェレズリー大学でアジア研究を専攻。上智大学大学院にて日本の外交・文化を研究。渡米後はスタンフォード大学東アジア研究所次長、北カリフォルニア・ジャパンソサエティー事務局次長などを務める。現在はフリーランスとして通訳・翻訳業を行う。主な翻訳書には英訳として、松本清張「砂の器」、伊坂幸太郎「死神の精度」、宮崎駿「1979-1996出発点」(フレデリック・ショット共訳)などがある。夫と息子の3人家族。
通訳するとき、スピーカーの頭の中に入り込むんです
日本は京都で生まれ育ったベスさん。現在は日本とアメリカの架け橋となるべく、様々な分野の通訳・翻訳で活躍している。そんなベスさんの暮らしぶりを聞いた。
ベス・ケーリさん

通訳・翻訳家(Beth Cary)BaySpo 1104号(2010/01/15)掲載

ご出身は?
 京都で生まれ育ちました。父が同志社大学で歴史を教えながら、アーモスト館という学生寮の館長をしていたので、家族で館内に住んでいました。まさに大学のキャンパスの中で生まれ育ったわけです。小学校は日本の学校、中学と高校は神戸のカナディアン・アカデミーで寮生活、週末は京都に帰りました。卒業後、アメリカの大学に進学してアジア研究を専攻し、その後、日本に戻り上智大学の大学院で研究を続けました。

ベイエリアに住むことになったきっかけ
 夫がスタンフォード大学で研究をすることになったのがきっかけです。私もスタンフォード大の東アジア研究所に勤務しました。そこでは東アジア研究のマスタープログラムで勉強する学生のアドバイザーや、研究所主催のレクチャーやイベントを企画する仕事に携わりました。

ベイエリアの印象は?
 世界のほかのところには申し訳ないほど、天候、自然、人材、町や文化に恵まれているところだと思います。

専門分野について
 20年ほど前に独立して通訳、翻訳業をしています。土地柄、シリコンバレーのハイテク企業関係の通訳をすることが多く、ほかには日本から政府関係の方、芸術家などの講演などもあります。翻訳は小説やノンフィクションなどの分野で、日本語から英語に訳します。アウトプットは英語で、日本語に訳すことはほとんどありません。日本語は難しい言語ですので、英語から日本語というのは大変なんですよ。日本人の翻訳家でも、日本語は難しいといって英語に訳している方もいるくらいです。

同時通訳も?
 同時通訳もしますが、これがまたなかなか大変です。日本語と英語は文法が違いますから、特に日本語を聞きながら英語にする場合、最後まで聞き終えてから訳すので難しいんです。それに同時通訳はものすごい集中力が必要です。1人でずっとやっていると持たないので、通訳者は常に2人ずついて、大抵10分から20分ごとに交代しながらやります。

通訳、翻訳のそれぞれ大変なところ、楽しいところは?
 通訳はその場で言葉を出さないといけないので、集中力が必要。本番勝負です。そして、なるべく自分の考えが入らないように透明になって、スピーカーの頭の中に入り込むようにします。その人の考え方をしっかりと理解しなくてはいけません。そのためにはその人自身をよく観察するようにします。これが大変でもあり、面白いところでもあります。
 翻訳はもっとじっくりできますが、本として形に残ります。自然な文体にするために、何度も何度もリライトして完成させていきます。
 どちらの場合も、事前に資料を読んだりしながら世界が広がっていくところが楽しいですね。

最近、印象に残っている仕事は?
 昨年の夏、アニメ監督の宮崎駿さんが、UCバークレー校の日本研究センターから日本賞を授与された際にベイエリアを訪問したときと、「崖の上のポニョ」の試写会でロサンゼルス等を訪問したときに宮崎さんの通訳をしました。プレスインタビューではたくさんの方から質問を受けましたが、宮崎さんは同じ質問に対しても答えがワンパターンでなく、その都度考えながら話すところに、とても誠意のある人だという印象を持ちました。

通訳で失敗したエピソードは?
 10年ほど前に、竹下首相がベイエリアを訪問した際、シュルツ元国務長官と対談し、ゴルフについての話になったのですが、「何番アイアン」などさっぱりわからない話題でした。ゴルフを知っている総領事館の方に助けてもらう羽目になりました。

ベスさんにとって仕事とは?
 微力ながらも日本とアメリカの架け橋として役立てたら嬉しいです。

子どもの頃なりたかった職業
 最初に憧れたのはバレリーナです。もう少し後には、国際特派員の仕事に惹かれました。

今の仕事をしていなかったら
 大学、もしくは財団で日本やアジアとアメリカの交流関係の仕事をしていたと思います。陶芸を続けていたら、趣味としてはそちらの道もあったかもしれません。

現在、住んでいる家
 オークランドヒルズの山間の中腹にある、木々に囲まれた家です。

乗っている車
 日産ムラノです。スキーに行くときや犬を乗せるのにはとても便利なのですが、もっと燃費のいい車に変えたいとも思っています。

睡眠時間は?
 基本的には夜11時頃に寝て、朝は7時前に起きます。もちろん通訳など、仕事が早くからあるときにはそれに合わせますが。時には、締め切りに迫られ、深夜まで翻訳をすると、最近は翌日にひびいてしまいます。

休日の過ごし方は?
 水泳、ハイキング、映画、美術鑑賞など、家族と一緒に楽しむことが多いです。

好きな場所
 犬連れのハイキングには、オークランド・バークレーの山中の自然公園、レッドウッド・リージョナル・パークやティルデン・パークへ行くのが好きです。オークランドやバークレーのユニークな商店街を見て回るのも楽しいですね。

よく利用する日本食レストラン
 サンフランシスコにある「三楽」は、サンフランシスコ空港にケータリングをしていた頃から知っていまして、出店の手続きなど、通訳として初めて仕事をさせていただいたお店でもあります。

日本に戻る頻度
 毎夏、1ヶ月ほど京都と長野県野尻湖へ、東京にも数日行きます。バケーションを兼ねてですが、翻訳のプロジェクトを持って行くこともあります。

最近日本に戻って驚いたこと
 知り合いにも2、3人いたのですが、都会でやっていたビジネスを田舎に移し、そこを拠点にするケースが増えてきていると思いました。例えば田舎でカフェをやるとか陶芸をするとか。都会に住む人も、わざわざそのカフェやギャラリーを目的にドライブして来るんですね。田舎が単なる過疎地でなくなってきているのを感じました。

日本に郷愁を感じるとき
 季節感が懐かしくなるときです。年末・年始や除夜の鐘などいいですね。

現在のベイエリアの生活で不便を感じるとき
 アメリカは広すぎて、友人や親戚とそう頻繁には会えないところが不便ですね。

お勧めの観光地
 ゴールドラッシュの廃墟・遺跡を巡るルート49沿いのコースです。Columbia State Historic Parkには、当時のホテルやレストランなど1850年代そのままの風景が残されています。

永住したい都市は?
 世界を見て周ってから決めたいと思います。

5年後の自分に期待すること?
 国連に、80歳を過ぎて編み物をしながら通訳をする日本人の方がいると聞いて、私もまだまだ頑張ろうと思いました。

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インタビューを終えて
 同時通訳に欠かせない大切なツールのひとつとして、ベスさんが見せてくれたのはストップウォッチでした。「同時通訳ではこれを見ながら、ペアの通訳者と時間ごとに交代します。時間になったら肘でつついたりしてね(笑)」。同時通訳の緊迫した舞台裏を覗いた気がしました。

(BaySpo 2010/01/15号 掲載)

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