ベイエリアに住むことになったきっかけ
もともとは高校生の頃にアメリカへ行きたいという夢をもっていました。友達と2人で計画し、1年くらいコツコツとお金を貯めていたのですが、やっとお金が貯まったという時に、友達がその貯まったお金で車を買ってしまい計画はダメに・・・。その後、大学時代にも同じように友人とアメリカ行きを決意し、お金を貯めましたが、ここでもまた友人が車を買ってしまい、第2の挫折を味わいました(笑)。それでも自分は夢をあきらめず、大学を卒業してから3年働いた後の1981年、25歳の時にサンフランシスコへ来ました。
アメリカへの興味 ただ行くというのだけではなく、どうやったらアメリカで生活できるかまで当時は考えていました。車社会のアメリカでは、きっとメカニックの仕事であれば英語が出来ない自分でも生きていけるのではとないかと考え、大学を卒業後に近所の車の整備工場に見習いとして入りました。そこでは3年間勉強させて頂き、その間に自動車整備士の国家試験もパスして、資金も貯まりましたのでやっと渡米することができました。ちなみに、柔道家になればグリーンカードを取りやすいとも聞いていて、昼はメカニック、夜は柔道という生活をしていました。結局、肩を壊して柔道の道は諦めましたが。
ベイエリアの印象 初めての飛行機、初めての海外、すべてが初めてでした。3月の終わり頃に着いたのですが、とても天気もよく綺麗な町だなあと思いました。カリフォルニア州立大学ヘイワード校(当時)のESLに入り、1年間英語の勉強をしました。日本の留学センターに相談をした際、英語を勉強するのなら田舎がいいと聞きましたが東京に住んでいて都会に慣れている自分には、サンフランシスコあたりが都会過ぎず田舎過ぎず合っているのではないかとのアドバイスを受け、なんとなくこの地を選びました。
今の仕事をはじめるきっかけ 1年間の留学でしたが、アメリカに住みたいという計画をもって渡米してきていたので、学生ビザが切れる前に車のメカニックの仕事を探し始め、知り合いに紹介してもらった整備工場でビザをスポンサーして頂き雇ってもらいました。そちらで働いて3年程経った頃に、グリーンカードをサポートしてくれるという観光業等を営むJOY TACグループから声がかかり、そちらのグループ会社であるJOY AUTOに転職をしました。
英語で仕事をするということ いやー、苦手です。昔から嫌いな科目でした。JOY AUTO時代、しばらくは同僚にフィリピン人が3人いたのですが、仕事のやり方などが全く合わず、言い合いになった挙句、3人とも辞めてしまいました。その後が大変。辞める前までは、部品調達は彼らに任せていたのですが、そこからは全部自分でやることに。私の英語がまったく通じず、またディーラーの横柄な態度にとても苦労しました。その甲斐があってか、仕事で使う英語はなんとかできるようになりました。
独立について フィリピン人3人が辞めてしまった後、基本的に私一人で仕事をしていたこともあり、JOY TACの社長よりバイアウトしないかとのお話を頂き、1990年に独立しました。当時はサンフランシスコには商社や銀行も多く、そちらで働いている駐在員の方の車の整備を中心にしていました。しかし、時代の流れとともにだんだんと事務所がなくなって行きお客さんも帰られていきました。そこで、2000年に今の事務所に移ったのを機に、ベイスポに広告を出すことにしました。そこから新しいお客さんがくるようになりました。ベイスポさんとはその当時からのお付き合いです。
英語で失敗したエピソード 日本で習っていた車の部品は、基本的にイギリス英語なのですが、こちらはアメリカ英語。部品の呼び方が違うんですよ。例えば、日本では「クリップボルト」と呼ばれるものが、こちらでは「ラグナット」と呼ばれます。今のようにインターネットがあればいいですが、電話で部品をオーダーできないことが多々ありました。
英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に 同じく車のメカニックをしていたのではないでしょうか。もともと人との付き合いは得意じゃないんです。みんなと一緒にやることが苦手です。小学生の頃から、協調性がないって言われていましたから(笑)。
生まれて初めてなりたいと思った職業 小さい頃から絵を書いたり、物作りをすることが好きでしたから、美術の先生や芸術家でしょうか。
いまの仕事に就いていなかったら 美容師か理容師になっていたかもしれません。床屋さんにあるイスって座り心地がいいですよね。陽のあたる所であのイスに座って昼寝なんていいですね。とにかく手先を動かしている仕事がいいです。
現在、住んでいる家 フォスターシティにある2ベッドルームの家です。
乗っている車 2000年のインフィニティです。日産好きでして、マキシマに長く乗っていました。新車は買ったことないですね。乗っていたマキシマが去年の6月に壊れてしまったので、またマキシマを探したのですが見つからず、同じ系統ということでインフィニティにしました。実は車を探す時にベイスポなども使って探したんですよ(笑)。中古車を診るときは、メイン部分であるエンジンとトランスミッションをチェックします。テストドライブをして、音を聞いたり、シフトチェンジに問題ないかなどを確認。また、メンテナンスをきちんとしてきたか、オイルを見たりします。
休日の過ごし方 特別な過ごし方はしません。毎日規則正しく生活を送りたいと思っています。読書をしたり、ジムに行って足腰を重点的に鍛えています。肉体労働ですから、1日でも長く働けるように鍛えないといけません。あと、ジムに行ったあとのビールは最高に美味しいですしね。
最もお気に入りのレストラン そんなに行くわけではありませんが、サンノゼの富味寿司ですかね。あとは日本町に行くときは、サンワンヌードルやOn the Bridgeを良く利用します。On the Bridgeのハンバーグステーキが好きです。
1億円当たったとして、その使い道 リタイヤしてハワイに引越したいですね。暖かいところが好きですし、ハワイアンの音楽を聴きながら海を眺めながらのんびりしたいですね。いずれはハワイにと考えています。
最近日本に戻って驚いたこと 帰国した際は旅行をするのですが、前回帰国した2010年は仙台や松島など東北を旅しました。とても平和で綺麗でした。それが半年後には全て津波で流されてしまうなんて・・・。
現在のベイエリア生活で不安を感じること 治安が悪いことですね。とくにこの辺りは、夜は怖いですね。5時には閉店して暗くなる前に帰ります。他の整備工場とも隣接していますが、お互い気をつけて、一人で残らないように常に危険を避けるようにしています。
ご自身の出身地について 東京の練馬です。小さかった頃にアメリカ軍人が住む「グランドハイツ」という場所が近所にありました。お袋がその中の日本食レストランで働いていたので子供の私も中に入ることが出来ました。金網の中はアメリカです。その時にアメリカの景色を見ましたね。日本では、「芝生の中には入っては行けません」と看板が立っていますが、みんな芝生の上で遊んでいました。今の光が丘団地に変わってしまいました。
最も印象に残っている本 吉川英治さんの『宮本武蔵』。人生の模範を示してくれ、元気とやる気を与えてくれる本です。私の読書はここからスタートしました。その後、山岡荘八などの時代小説を読むようになりました。
5年後の自分に期待すること 今のように働いていられれば良いな、と思います。肉体労働ですので、体力を落とさないように、また気力が続くようにしたいです。少しでも長く働きたいですね。
座右の銘 どなたかの記事にもありましたが「石の上にも三年」。常に親父から「3年は努力しろ」と言われて育ってきました。「人も仕事も三年辛抱しないとそのものの本質が見えてこない」と。振り返ると3年周期で行動してきた自分がいます。大学卒業後に3年、アメリカに来て3年した後に転職、独立したのもその会社で働いてから3年でした。
インタビューを終えて 高校時代から将来の人生計画をたて、ブレずにその道に進んできた奈良さん。多くは語らない奈良さんの一つ一つの言葉から、目標に向かって進む行動力、努力、そして対応力を感じることができました。改めて自分自身の生き方を考えるきっかけになりました。