|
| Vol.74 |
松本 裕子さん |
栃木県小山市出身。津田塾大学英文科卒業後、東急百貨店入社。同社と米国ウイリアムズ・ソノマ社の合弁会社、ウイリアムズ・ソノマ・ジャパン社に出向。1994年、駐在員としてSFのウイリアムズ・ソノマ本社へ転勤となる。2003年にアルテラ・デザイン社に入社。2008年にNKBA Certified Kitchen Designer、翌年にCertified Bath Designer資格を取得。2012年、デザインを手掛けたバスルームがNKBA主催のデザインコンテストにてBest Bathroom Design(全米1位)を獲得する。
|
|
|
日本人という枠に とらわれない仕事を |
|
ウィリアムズ・ソノマ・ジャパン社で日本向け商品のバイヤーなどを務めた後、幼少からの夢を叶えてインテリアデザイナーに。2012年にはNKBA(National Kitchen and Bath Association)主催のデザインコンテストのバスルーム部門で全米1位に輝いた松本さんに、ベイエリアでの暮らしぶりを伺いました。
|
|
|
(Yuko Matsumoto) | BaySpo 1288号(2013/08/02)掲載 |
|
ベイエリアに住むことになったきっかけ 1994年に東急百貨店とウイリアムズ・ソノマ社の合弁会社、ウイリアムズ・ソノマ・ジャパン社の駐在員として渡米しました。仕事内容は、日本市場向け商品のバイヤーと日本とアメリカのオフィス間のコミュニケーション・サポートでした。
ベイエリアの印象 ヨセミテやナパバレーなど、世界中の人たちが訪れる観光地に短時間で行ける場所に住めるのはとてもラッキーなことだと思いました。それと、ベイエリアには様々な文化背景を持つ人々が住んでいるため、異文化に対する偏見を持つ人が少なく、外国人の私たちにとって、とても住みやすいところです。アジア人が多いのも私たち日本人にとっては、プラスですね。
自身の専門分野について 現在、ウォルナットクリークにあるリモデル施工会社「Altera Design & Remodeling」で、キッチン&バスルームのデザイナーとして働いています。仕事内容は、お客様の要望に応じたキッチンやバスルームのデザインコンセプトの立案、レイアウトの決定、図面の作成、キャビネットやカウンタートップその他施工材料の指定及び発注、工事過程のモニター等です。お客様にとってリモデルは大きな投資であるとともに、多くの方にとって初めての経験なので、リモデルプロセスの最初から最後まで、ガイドとしてきめ細かなサポートをするのも重要な仕事です。
その道に進むことになったきっかけ 2002年にアメリカ人と結婚をしてこちらに残ることになった時に、新しい仕事を探すにあたって、今までの小売業での仕事が本当に自分のしたかった仕事かどうか考えてみる良い機会だと思いました。新しい仕事の条件として決めたことは、自分が興味を持って楽しめる仕事であることと、日本人という枠にとらわれない仕事であることでした。そこで思い当たったのが、子供の頃から興味があった「インテリアデザイン」と、ウイリアムズ・ソノマ社の仕事を通して興味を持つようになった「料理」の2つの分野に関係するキッチンデザインの仕事でした。日本人という枠にとらわれないという部分は、アメリカに来た以上、いつかアメリカ人と対等に勝負したいという気持ちがあったためです。この大和(なでしこ?)魂のおかげで、昨年、アメリカ全国のデザイナーを対象としたデザインコンテストのバスルームデザイン部門で全米1位を獲得しました。
英語で仕事をするということ 今の仕事で日本語を使うことはほとんどありませんし、英語で仕事をしていると意識することもありません。ベイエリアにはいろいろなお国訛りの英語を話す人が多いので、同僚もクライアントも慣れているようで、その点はラッキーだと思います。
英語で失敗したエピソード 今だにLとRの区別が付かないことがあります。また、渡米当初、和製英語には悩まされました。たとえば、日本で「これはサービスですか」というと「これはただですか」という意味ですが、そのまま英語で「Is this service?」といっても誰も理解してくれません。日本で使っていたおかしな英語を頭から消去するまで、ちょっと混乱しました。
英語が100%ネイティブだったらどんな仕事に 間違いなく、同じ仕事をしていました。
あなたにとって仕事とは? 結婚や交友関係でなく、仕事を通してアメリカの社会の一員として受け入れられた、という気持ちがあるので、仕事は私にとって重要な意味をもっています。また、インテリア関係のことが本当に好きなので、お金を頂いて好きなことができるのは恵まれていると思います。ただ、年齢的に、仕事以外でもなにか打ち込めることを探したいと最近は思うようになりました。
生まれて初めてなりたいと思った職業 子供のころはおもちゃが自由に手に入るという単純な理由で、おもちゃ屋さんなりたかったのを覚えています。しかし、中学校の卒業文集には「インテリアデザイナーになりたい」と書いています。
いまの仕事に就いていなかったら もしかしたら、主人とともに、から揚げ自慢の居酒屋を経営していたかもしれません。
現在、住んでいる家 プレザントンにある4ベッドルーム、2.5バスの家。
乗っている車 2005年のプリウス。16万マイルいきました。
休日の過ごし方 家庭菜園の手入れをしたり、主人とオートバイに乗って仲間とツーリング、友達とナパのワイナリーでのピクニックなどをして過ごします。
最もお気に入りのレストラン 近所のレストランでは、ダブリンにある「ファー・サイゴン」をよく利用します。安い、早い、うまいの3拍子が揃っています。もう少しお洒落な所としては、ヨントビルにある「ボテガ」が好きです。とても洒落た雰囲気のレストランで、お天気の良い日にアウトドアのテーブルで本格的イタリア料理を味わうのが最高に幸せです。
よく利用する日本食レストラン プレザントンのメインストリートにある、「TOMO SUSHI & GRILL」です。ベイエリアでただ1人の女性寿司シェフというオーナーシェフの、日本人ならではの細やかな心遣いが気に入っています。もちろん、食事もおいしい!
最近日本に戻って驚いたこと 紅白歌合戦を見ても、もうほとんど知っている歌手がいないことでしょうか。それとアーティチョークが1個500円で売っていたこと。
日本からベイエリアに持って帰ってくるもの 必ず築地に行って、かつおだしパック、日本茶、明太子。それから義母(日本人)のために真空パックの山口県産かまぼこを購入します。
現在のベイエリア生活で不便を感じるとき もっと公共の交通機関が発達していればいいと思います。私の住むプレザントンからサンフランシスコまでバートで行けるものの、駅から離れているところに行くのが不便なので結局車で行くことになり、ベイブリッジが混んでいる時などは本当に不便を感じます。
日本に郷愁を感じるとき 歌舞伎が好きで東京に住んでいる時はよく行っていました。歌舞伎をもっと見にいきたいです。
お勧めの観光地 ニュージーランドはとにかく素晴らしかったです。『ロード・オブ・ザ・リング』の映画の景色が見たくて行ったのですが、期待を上回る美しさでした。オートバイをレンタルして南島を1周しましたが、車が少ないので最高でした。アメリカでは、モニュメントバレーやキャニオン・デ・シェのあるナバホ・ネイションがとても印象深かったです。お勧めです!
5年後の自分に期待すること 今の仕事について10年ですが、更に経験を積んで、昨年賞をとったプロジェクトを超えるデザインを残したいです。
最も印象に残っている本 スタインベックの『怒りの葡萄』です。凄まじい逆境の中で生きてゆく人々の不屈の精神、特に「母」の強さには本当に感動しました。この本のエンディングほど、ショッキングで忘れがたいエピソードには他に出会ったことがありません。
最も印象に残っている映画 1927年に作られた無声映画、フリッツ・ラングの『メトロポリス』です。話の内容というよりも映像がとても好きです。
最近観た映画 『The Master』ホアキン・フェニックスの演技は鬼気迫るものがあります。
自分を動物にたとえると 自分でも忠誠心が強いと思うので、犬でしょうか。
座右の銘 私の生まれ故郷の栃木県が生んだ文豪、山本有三の名著『路傍の石』の一節。「たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、 ほんとうに生かさなかったら、人間うまれてきたかいがないじゃないか」。
(BaySpo 2013/08/02号 掲載) |
|
|