文化芸能編  Vol.29
TAKEZOさん
 1960年香川県生まれ。9歳の時に京都に移り住む。12歳より音楽活動をはじめ、さまざまなバンド活動を経て1985年渡米。1989年、1990年にベイエリアブルース新人賞を受賞。1994年にオリジナルアルバム『a boy from lion street』をリリース。その後シンガー、ギタリストとして全米、カナダ、日本などでツアー活動を続け、現在もベイエリアを拠点に活動中。詳しい情報はwww.takezomusic.comまで。なお、CDはhttp://www.cdbaby.com/cd/yoshinobuにて購入できる。
いつの世でもライブ音楽を
 1989年、1999年とベイエリアブルース新人賞を受賞し、さまざまな音楽活動を続ける音楽家TAKEZOさん。現在はフリーの音楽家、音楽学校のインストラクター、ギターテクニシャンとして活動している。ベイエリアに渡るまでの歴史、それから彼の音楽に対する思いを語ってもらった。
TAKEZOさん

(Yoshinobu Takeda(武田佳史))BaySpo 1218号(2012/03/30)掲載

音楽との出会い
 中学生の頃、ちょうどビートルズとかが流行りだした頃なんですけど、クラスメートがバンドをやりたいと言っていて「お前ちょっと歌ってくれないか」って言われたのが最初でバンドを組みました。そして卒業前の文化祭の時に京都会館というホールで初めて全校生の前で演奏したんです。そのときはビートルズとかをコピーしたんですけど、そのときに大勢の前でパフォーマンスをするということに快感を覚えてしまったようで、それがきっかけで本格的に音楽の道に進むことになりました。

上に上に進みたい
 15歳から、全て日本語のオリジナルの曲を中心にやっていました。オーディションも何度も受けましたね。鉄工所で働きながら食いつないだりしていました。僕の「TAKEZO」という名前は、そこの親方がつけてくれたんですよ。当時は今考えればちょっと危ないようなお店でもライブをやったりしていましたね。僕は音楽活動をしていく中でいつも「もっとうまい人、もっと年上の人たちと一緒にやりたい」と思っていて、当時組んでいたバンドが解散した後は、地元のミュージシャンや京都にあるいろんな大学に潜り込んだりしてました。ある大学の音楽部では正体がバレるまででしたけど、「何学部?」なんて聞かれたら、とりあえず「経済学部」と言ったりしてましたが「あれ、君授業にいないよね」なんて言われてばれちゃうわけです。17歳頃まではイギリスのロックに傾倒していたんですが、この頃はアメリカのブルースなどのルーツをベースにしたロックなどを好んで歌っていました。でも基本的に大学生にこれを歌えと言われたものを歌っていました。その後18歳の頃はソウルバンドで活動するようになりました。ボーカルが男2人女2人、管楽器4人、ギター2人にキーボード、ベース、ドラムと全員で13〜18人くらいいたバンドで歌っていました。そのバンドはソウルミュージックを勉強するきっかけになりました。そのバンド以降はアメリカに渡米するまでブルース、R&B、R&R、オリジナルを京都のミュージシャンたちと中心に続けました。

ブルースの本場を追い求めて渡米
 15歳くらいの時の夏休みに何気なくNHKを一人で見ていたら、Monterey Pop Festivalというロックフェスティバルの様子が流れていてたんですが、その中でOtis Reddingという歌手がいて、彼の歌を聞いた瞬間にドワ〜〜っと涙が流れ出して止まらなかったんです。ものすごい衝撃を受けました。また、ちょうどソウルバンドをやめた頃、アメリカで音楽活動をすることも少し考えていたんですが、英語もできなかったのでまずは外国人がたくさん来る京都の店でアルバイトを始めたんです。それから京都の中でも外国人が多く住む地域に引っ越しをし、そのときに知り合った外国人の友達が「サンフランシスコに来るときは連絡してくれ」と言ってくれ、その人からの手紙だけを便りにサンフランシスコに来たわけです。

渡米当時のアメリカでの活動
 最初の一ヶ月はサンフランシスコに訪ねたアメリカ人のアパートに居候していました。そして、オークランドにあるEli's mile high clubやLarry Blakesといったブルースクラブに行き、演奏していたバンドに、その舞台袖で私はずっと「俺に歌わせろ」と思っていたんですね。そこで「俺に歌わせてくれないか」と直接交渉したんです。すると、「明日また来い」と言われて次の日に行ったら歌わせてもらえたんですね。すると、一ヶ月後にTAKEZOの名前でライブの仕事をもらえるようになりました。その2軒のお店を中心にベイエリアのライブミュージックのお店では毎晩毎晩、くる日もくる日も通い続け、店から店へと車もないのにハシゴしまくって道場破りみたいなことをしていましたね。

英語で失敗したエピソード
 全く英語を勉強しないでこちらに来たので、最初の頃は大変でした。ピーマンはこちらでピーマンといっても通じないんですね。アメリカ人からすれば「しょんべん小僧(Pee-Man)か!?」って感じですよね。ピーマンをベルペッパーというのはこちらに来てから初めて知りました。それから、あとはマックでコーヒーを頼むとなぜか必ずコーラが出されていた頃もありましたね。どう転んだらそうなるんだって感じですが・・・。

生まれて初めてなりたいと思った職業
 漫画家ですかね。昔は手塚治虫とか赤塚不二夫とかが大好きでした。

現在住んでいる家
 バークレーに住んでます。賃貸です。

乗っている車
 古い日産のトラックです。

睡眠時間・起床時間・就寝時間
 日によってばらばらですね。3時間の睡眠の日もあれば8時間寝れる日もあります。ツアーをやっているときは睡眠時間は短くなりますね。

休日の過ごし方
 7歳の娘と過ごします。一緒に自転車に乗って公園やウォーターフロントに行ったりしますね。

好きな場所
 ニューオーリンズ

好きなレストラン
 マリン・カウンティーにある「Rancho Nicasio」というお店ですね。自分が「Rancho Allstars」というバンドで演奏をしているということもあるのですが、おいしいですよ。

一億円あたったら?
 音楽と家族に使います。

日本に戻る頻度
 最近ライブツアーで帰ったのが4年ほど前です。帰国して日本でもまたライブツアーをやりたいです。

最近日本に帰って驚いたこと
 外食産業の幅が広がったことでしょうか。昔はあまりエスニック料理のお店なんて日本にはなかったですけど、今では日本でもいろんな国の食べ物が食べられるようになりましたよね。あとは、日本人のミュージシャンのレベルですね。今の日本人のミュージシャンの人たちはプロ・アマ問わずクオリティーが高い人たちが多くなってきていますよね。

日本に持っていくお土産
 ハニーマスタードとか香辛料ですね。

日本からベイエリアに持って帰ってくるもの
 京都の一味と山椒の実です。やはり香辛料です。軽くていい(笑)。

現在のベイエリアでの生活で不便を感じるとき
 交通の便でしょうかね。自転車をもう少し安全に乗れるようにしてほしいですね。バイクレーンは一応ありますけど、車と共同車線がほとんどですから。

永住したい都市
 ニューオーリンズ、ベイエリア、京都、四国・・・あげればきりがない(笑)。

5年後の自分に期待すること
 CDを今のところ1枚出しているんですが、新しいアルバムを出したいですね。少しでも多くの人に歌・ギターを聴いていただきたいです。

最近読んだ本
 『Sweet Soul Music』 Peter Guralnick著 と『The City Of Joy』Dominique Lapierre著
 
自分を動物に例えると?
 キリンとかラクダですね。目のあたりが似てるとよく言われますねぇ。

座右の銘は
 May Peace Prevail on Earth(世界人類が平和でありますように) 

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取材を終えて
 人生のさまざまな節目で大きな決断をしているような印象を受けましたが、休日には7歳の娘さんと一緒に自転車に乗ったり宿題を手伝ってあげたりと、ほのぼのとしたお父さんの面も持ち合わせているTAKEZOさん。娘さんの将来は歌手でしょうか。期待しています。

(BaySpo 2012/03/30号 掲載)

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